こんにちは
健康美人ともみです
なつかしい思い出を
私は宮城大学に通っていました。
当時仙台市民でした。
事業構想学部事業計画学科という長い名称の学科
大学3年生の時に東日本大震災に遭いました。
震災後、たくさんの芸能人がパチンコ営業に来てくださって仙台を盛り上げてくださいました
当時は仙台市青葉区荒巻に住んでいました。
荒巻は正直あんまり綺麗な町ではなく(今はすごい開発されて綺麗ですよねグーグルマップで見てます)
すさんだ色の住宅街。
道は狭くて、道も入り組んでいて。
北山駅の手前とかすごくないですか?
冬は原付やおじいさんが転げ落ちていて…
そして私は2万円代のアパートに住んでいました…
でも木造だったおかげかあの地震でも倒壊せず、食器は1枚も割れなかった。
強いて言えば隣の部屋の給湯器の排水管が壊れてエンドレス水流ができていたくらいで丈夫な木造アパートでしたね。
宗教勧誘がひどくて何度もやめてくれと懇願もしたし、
新聞の勧誘もひどかったなアハハ
そう、なんか
家賃が安くて古い町並みでそういう町というか、、、
パチンコ屋さんが乱立していて、寝ていてもパチンコの街宣車で目が覚めるようなところ。
数あるパチンコ屋さんのなかで
1個だけめっちゃパチンコ営業がさかんなパチンコ屋さんがあって、
ある日突然大物が来ました
板東英二さんが来た…
ゆでたまごのレプリカを投げてくださったり、
クイズ大会をしてくださったり、
とても楽しかった。
優しかったです。
サインを頂きました。
写真も撮った
という私の宝物
実家で私の写真を入れているコーナーに大切に保管されていたので、なつかしくて見入っていました。
「ともみさん
どの道も歩いていれば…」
あとは何て読むんだろう