こんにちは
健康美人ともみです🎀

ハンセン病について自分の経験につながることを書いています。

若い青い自分の経験なので、至らない表現や思いやりのない言葉などがありましたらごめんなさい😭


ハンセン病について、小学生のころに知っていた言葉。

発症したら隔離施設にいれられる
施設の外に出られない

指先がとけちゃう
かたまっちゃう

鼻がとけちゃう
顔がかわる

等の表現は聞いて育ちました。

差別的に聞いていたのではなく、

実際にハンセン病にかかった方々の日記や小説などの抜粋だと思うのですが、そのようなハンセン病の症状はテレビや書籍を通して小学生ながらわかっていました。

青森市ならハンセン病患者の方の歴史の漫画本が小学図書にあります。だから割と身近ではあったのかなと思います看板持ち

青森市時代❄

結局、私はその方々と実際触れ合うことのないまま育ち。

青森には大きな療養所があるとわかっているのに、会うことのない日々で。

(交流会とかあったと思うけど私の学区がそうではなかったかも。)

テレビや新聞では見るのに生でお会いしたことがないまま、やんわりとハンセン病は治る病気・病気の差別はよくないという認識だけがありました。


そんな私が高校を卒業して、大学生になり

夏休みを利用してねぶた祭でグッズ販売のアルバイトをします。

いわゆる売り子ですね。

ねぶた祭が始まる時刻前に、

じゃらじゃらとグッズを持ち歩いて街中を歩いていたら、

台湾から来たご年配グループがたーーくさん買ってくれたんです爆笑

だから浮かれてほくほくしながら歩いてました。
売り子は完全歩合制なのでバックがでかいといいなぁ💰って。

その浮かれた意識のまま
ハンセン病の方々のグループの前を通り、

突然初めていろんなことがハッとして。

その時の10代の頃の未熟な自分は、言葉が出ないほど驚きました。

『病気で差別してはならない、見た目で差別してはならない』

とわかってたはずなのに、

自分の頭の中では判断しきれなくて脳が混乱したのを覚えています。

まず外見に驚きました。
驚いてしまって本当に申し訳ありません。

そして初めて伝聞だけで知っていた人を見た!という探求の心もありました。

(今こうして書くことで誤解を与えてしまっていたら申し訳ありません。当時からかうような気持ちはありません。)

ただ、

目の前でハンセン病患者の皆様が拍手をして、

はじまるぞ~!ねぶた祭だ~!

と喜ぶ姿が純粋に嬉しかったです。

ねぶたが始まる前って独特のザワザワ感、ぞくぞく感があるのです。

何ヶ月も前からお囃子が聞こえてきて、やっと本番はじまるどー!みたいな。

今日から終わる日まで跳ねるぞー!みたいな。

東京に住んでたら感じない燃え上がる魂があるのです🔥

それを共有できていることが嬉しかったです。

その後ニュースで保養園の方が生まれて初めてねぶたを見たor久しぶりのねぶたを見たというのを聞いて、

すごく胸が切なくなった出来事がありました。

(これは時系列が違うかもしれません。そのニュースを見た数年後に実際に売り子のアルバイト中にお会いしたのかもしれません)

私にとっては当たり前のねぶたで、毎年夏にわくわくぞくぞくの楽しい迫力満点のねぶたを燃え上がるように楽しんでいたので、

初めてねぶたを見る

という言葉が胸に刺さりました。

ここで青森市での体験はおわり。


なんやかんや自分も持病が発覚して治療中で、

体力もないし。血圧も高いし。
慣れたらどうってことないんだけどさ。

病気で太り、

見た目で判断される辛さを知って。

人間関係も大きく変わり、

闘病が始まり予防

そんな中
ぽっちゃりでも笑顔が半端ない人がいるキョロキョロ!!オーラすごい!!すごい!!この人すごい!!元気しかもらわない!!と、GLAPOCHA桃果愛さんを知り、、、

希望に触れて、

体型や見た目で人を批判しない世の中を切望していた私がいて、

そして闘病記録をsnsで公開して
プラスサイズを発信する立場になり、

なんやかんやホルモン疾患という、見た目ではわからない病気と付き合う私が今いて。

30歳でやっと人生で一番元気になってしまい。

だんだん過去のつらい記憶が薄くなったり、ド忘れしたり、そこだけ記憶がまるっとなくなったり

あんなに辛かった時に、私は絶対この苦しみを忘れない。絶対発信していく。覚悟を決めて生きると自分に誓ったのに、

忘れちゃっていく自分。


この状態の私がハンセン病資料館に行って、めちゃくちゃ見入ってしまったのはここにつながりがあるかなと思いました。

自分の小さな経験をハンセン病患者の皆様の経験に重ね合わせるなんて大変失礼なことなのだけど、でもどこか重ねてしまうところもあり。


ある日ね、、、
ああ今日も疲れた…なぜ私には体力がないんだ…ってぼーっとしてたら、

ハンセン病資料館の看板を見つけましたニコニコ

青森での経験からつながっていたのかなと思っています。

経験は、語り継いでいきたいです。