2週ほどブログをお休みをして、大分リフレッシュ出来ました。
今回は少し余裕があるので、前回出来なかったイクノディクタスの話をしようと思います。
イクノディクタスは1987年生まれ。同期はマックイーン、ライアン、パーマーのメジロ3頭やアイネスフウジン。牝馬ではタキオンの母として知られる桜花賞馬アグネスフローラがいます(ちなみにイクノディクタスは牝馬三冠全てに出走している)。
「鉄の女」で知られる通り、51戦もレースで走り、しかも引退まで一度も故障する事はありませんでした。
この51戦というのはウマ娘でカノープスのメンバーとして知られる6頭の中でも最多です(2位がナイスネイチャの41戦)。
その特徴からどうしても出走数に目が行きがちですが、レース実績も優秀で、特に7歳(現表記では6歳)時にはG1を2戦連続で2着になってます。
最初の2着、1993年安田記念はヤマニンゼファーが連覇したレース。レース映像を見ると分かりますが、ゴール前ではヤマニンゼファーだけが1馬身差くらいで抜け出し、後ろは5、6頭が横並びになるくらいの大混戦。後ろから追い込んだイクノディクタスがハナ差で2着に入りました。
この時14番人気、馬連は68970円の万馬券。
混戦状態で間から伸びてきたため、実況もしばらくイクノディクタスに気づかなかったくらいでした。
そして2回目の2着は1993年宝塚記念。メジロマックイーンが勝ったレースですが、イクノディクタスは8番人気で2着。3着のオースミロッチも7歳馬で、1~3着まで7歳馬が占めるというレースでした。
2着という事で目立たないかもしれませんが、牝馬が宝塚記念で2着になるのは1972年のタイヨウコトブキ以来。イクノディクタス以降も2着以内は2005年のスイープトウショウまで待たなければなりません(2着に限るなら2010年のブエナビスタ)。
まだまだ牡馬と牝馬の力の差が大きい時代、中距離の牡牝混合のG1レースで牝馬が2着に入ったというのは大偉業と言えます。
この時は2年前に阪神競馬場が改装されたばかりでゴール直前に120mの坂が新たに設けられました。また、この時の宝塚記念当日は良馬場発表でしたが雨が降ってました。
あくまで個人的な考察ですが、この時既に40戦以上経験していたイクノディクタスは雨や坂などの厳しい環境も当然経験済みで、動じずにレースが出来た事がこのような偉業に繋がったのかもしれませんね。
勝った重賞は京阪杯、金鯱賞、小倉記念、オールカマーの4戦。全て牡牝混合戦です。
ウマ娘2期でツインターボがオールカマーを逃げ切ったレースでイクノも走ってましたが、史実では前年の勝ち馬でした。
ちなみにオールカマーは1992年イクノディクタス、1993年ツインターボ、1994年ビワハヤヒデ、1995年ヒシアマゾン、1996年サクラローレル、1997年メジロドーベルと6年連続で勝ち馬がウマ娘になってます(その他ではオグリキャップ、メイショウドトウが勝っている)。
引退後は繁殖牝馬になりしたが、残念ながら子孫は途絶えてます。
近親では全妹のエミノディクタスの牝系のアンミ(父アッミラーレ)が繁殖牝馬として活動中のようです。
以上です。
来週は高松宮記念、月末にはドバイワールドカップデーと大阪杯があります。
今回のドバイはフォーエバーヤングやイグナイター、ドウデュース、リバティアイランド、ウシュバテソーロなど各レースで豪華なメンバーが参戦しますね。
外国の馬も強いですが、1つでも多く勝利を、そして何よりも怪我無く無事にレースを終えて欲しいです。
ではでは~