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現実改変のパラドックス(不安定)

 

「当時は、このルール(こう)でしたよね?」

 

特に年代も日付も指定しなければ、数秒前の過去でも、大昔でも良いわけで・・

「当時」の意味次第では、発言をした後の何らかの未来の出来事の可能性もある。

 

屁理屈な感じが「なろう系」でありそうな異能ではあるが・・。

「ルールは常時、破られることを示すものでもある」という現実改変。

年代、日付・時間に指定がないから、永遠に自分ルールでもあるが・・。

相手のルール(状況)の理解度がなければ、改変はできないもの・・。

あとは比較対象があると無理か。

 

これに「子ども遊び」のランダム性を加えたら、

相手の理解度はいらないのだろうなぁ・・。

 

この屁理屈のような「当時はこうでしたよね?」を繰り返しすぎたら、

「じゃ、今はなんなんだ」・・ってなる。

比較対象を思い出させない限り、相手が作話に陥るような話術・・。

「なろう系」でありがちな・・ある種の洗脳だわ・・。

リアルに悪用はしないが・・遅かれ早かれ、デジタル社会の生きる若者は、

思い出の改変をされまくる時期は来るだろう。

 

動画ばっかり見てたり、流れるままに動画ばかり撮っていたら・・

「真の自分の人生の思い出」なんて、無いに等しいものなぁ。

過去ばかり見て「今」を見ていないから「今」という「証明」が取れていない。

「今」が何なのかが分からないから「闇」に染まるのだろう。

「やってること」が「今」で、それが実感になるから「闇」のままになる。

 

デジタルでの記録は

「押し入れにしまったものを二度と使わない」に等しいから、

自分で思い出を大事にできるか次第なのよねぇ。

ちゃんと振り返ることも大事、それだけでも脳トレ。

 

記憶と状況整理してしまえば、全然パラドックスじゃねぇな・・。

「見せかけ」か。