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今年の12月で40歳になる私

真っ当に働くなら、あと25年の勤続が必要になるが・・。

会社が続くかどうかは知らないが、私は続けたいと感じないからなぁ。

しかし、行く当てもなくという感じではある。

 

40歳になればインターネット回しの整理し始めは確実にするので

「アメブロ」は今年中には退会するかもなぁ。

 

想像力と心を綴っていたようなものだが・・

ページを観れば・・広告が多く、声が埋もれるのもありつつ・・

近年のインターネットリテラシーとやらを「過剰解釈」をすれば、

現実と変わらないか・・あるいは、

それ以上に「言いたいことを言えない社会」になりつつあるし、

困ったものだよ・・。

結局、本音は我慢しないといけない社会に戻りつつあるのよね。

 

一つ例を挙げるとすれば・・「誰」にとって「ネガティブ」か。

 

愛国心と反他国心・・それぞれの視点からすれば、

「ポジティブ」は「ネガティブ」に・・

「ネガティブ」は「ポジティブ」に・・

そういう認識になってくるというのが過剰解釈。

 

多様性の究極は「虫」になることだものなぁ。

対話をするな、伝達手段は最小限、形が壊れたら村八分。

息の詰まることが多様性。

100人中100人の声がバラバラでも、状況次第では統率が取れてるから、

それは多様性ではないと思う。

 

社会の物事は、そういう風に明言されていたら真逆のことが起きてる。

 

大河ドラマの「豊臣兄弟」を今年の占い的にすれば、

「相手に合わせて柔軟に人たらしになること」が今年は引っかかる社会になる。

 

6日前ぐらいに書いた

「バイオハザード9 レクイエム」で

「悪としての希望とは何か、善としての希望とは何か・・」みたいなことを書いた。

「エルピス」の解釈とストーリーネタだと言ったが・・。

これもネットリテラシーの過剰解釈に倣えば・・

「縛られに行く」よりも「縛られない工夫」に行きつくことができれば

「ネット利用をしない」に落ち着いてくるのよね。

 

苦楽が適度に発動する物事が「継続」の秘訣だとも思えるから、

「簡単に、楽に」継続してしまえる状況は、継続力とも言いにくい。

単なる習慣化された出来事に過ぎない。

 

私にとっての工場勤務は「苦だけの継続(?)」なので・・

苦の習慣化になってるようなものだ。

 

ブログと工場勤務で、全体的に見ればバランスは取れてるには取れてるが・・

「習慣化されたもの」であって「継続されたもの」ではないようにも思える。

 

ブログは、8年~9年はしてるよなぁ・・。

毎日投稿はしていたが、少し前には途切れてしまった。

しかし、

このアメブロを利用したきっかけは、SNSや他のブログサイトを利用してきたが、

それを集約する形で最後の「文章を書くための場所」としたから。

 

このまま習慣化で続けてもいいが・・熱量の問題もあるしなぁ。

書きたいことはいくらでもあるものの・・広告やリテラシーの縛りが強くなれば

「言いたいことを言えない社会」で逃げ場なしなら、やらないほうが健全じゃん。

 

こう書くことで・・

私にとっては「ポジティブ」でも、ほかの人にとっては「ネガティブ」でしょ。

そういうことなのよ。