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今年の12月で40歳になる私
真っ当に働くなら、あと25年の勤続が必要になるが・・。
会社が続くかどうかは知らないが、私は続けたいと感じないからなぁ。
しかし、行く当てもなくという感じではある。
40歳になればインターネット回しの整理し始めは確実にするので
「アメブロ」は今年中には退会するかもなぁ。
想像力と心を綴っていたようなものだが・・
ページを観れば・・広告が多く、声が埋もれるのもありつつ・・
近年のインターネットリテラシーとやらを「過剰解釈」をすれば、
現実と変わらないか・・あるいは、
それ以上に「言いたいことを言えない社会」になりつつあるし、
困ったものだよ・・。
結局、本音は我慢しないといけない社会に戻りつつあるのよね。
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一つ例を挙げるとすれば・・「誰」にとって「ネガティブ」か。
愛国心と反他国心・・それぞれの視点からすれば、
「ポジティブ」は「ネガティブ」に・・
「ネガティブ」は「ポジティブ」に・・
そういう認識になってくるというのが過剰解釈。
多様性の究極は「虫」になることだものなぁ。
対話をするな、伝達手段は最小限、形が壊れたら村八分。
息の詰まることが多様性。
100人中100人の声がバラバラでも、状況次第では統率が取れてるから、
それは多様性ではないと思う。
社会の物事は、そういう風に明言されていたら真逆のことが起きてる。
◆
大河ドラマの「豊臣兄弟」を今年の占い的にすれば、
「相手に合わせて柔軟に人たらしになること」が今年は引っかかる社会になる。
6日前ぐらいに書いた
「バイオハザード9 レクイエム」で
「悪としての希望とは何か、善としての希望とは何か・・」みたいなことを書いた。
「エルピス」の解釈とストーリーネタだと言ったが・・。
これもネットリテラシーの過剰解釈に倣えば・・
「縛られに行く」よりも「縛られない工夫」に行きつくことができれば
「ネット利用をしない」に落ち着いてくるのよね。
◆
苦楽が適度に発動する物事が「継続」の秘訣だとも思えるから、
「簡単に、楽に」継続してしまえる状況は、継続力とも言いにくい。
単なる習慣化された出来事に過ぎない。
私にとっての工場勤務は「苦だけの継続(?)」なので・・
苦の習慣化になってるようなものだ。
ブログと工場勤務で、全体的に見ればバランスは取れてるには取れてるが・・
「習慣化されたもの」であって「継続されたもの」ではないようにも思える。
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ブログは、8年~9年はしてるよなぁ・・。
毎日投稿はしていたが、少し前には途切れてしまった。
しかし、
このアメブロを利用したきっかけは、SNSや他のブログサイトを利用してきたが、
それを集約する形で最後の「文章を書くための場所」としたから。
このまま習慣化で続けてもいいが・・熱量の問題もあるしなぁ。
書きたいことはいくらでもあるものの・・広告やリテラシーの縛りが強くなれば
「言いたいことを言えない社会」で逃げ場なしなら、やらないほうが健全じゃん。
こう書くことで・・
私にとっては「ポジティブ」でも、ほかの人にとっては「ネガティブ」でしょ。
そういうことなのよ。