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現代人に「自立力」「創造力」「共生力」があるのか。
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「自立力」は「ない」だろう。
「自力でやってることはあるか」と問われて、
「仕事」や「家事」と答えるだろうが、それは当たり前の生活水準で、
「自立力」とは少し言いにくいと思う。
テクノロジーや時短、既製品に頼る生活を通じれば通じるほど、
「自力」がなくなり「(生きてるままに)棒立ち」の状態と変わらない。
例えば・・
「子どもが引きこもってるから自立支援施設に預けよう」と
考え試みること自体が矛盾行動を起こしてる。
その子どもはアナログなこと(農業・料理・家事全般)を通じつつ。
スマホやネットのない環境で生活を繰り広げているのに、
大人側はスマホやネットはもとよりテクノロジーに頼りすぎた仕事、
既製品に頼って時短をする生活を繰り広げている。
大人側が「仕方がないではないか」という言い訳は、
引きこもっていた子どもの言い訳と大差はないことは明白だと思う。
自立力ではなく、自力もできない棒立ちの大人が増えて、
言葉だけで口論にもならない程度で争ってる。
小石の投げ合いをしてるだけの状況ではあるよなぁ。
(社会風刺としての「コンビニの店員」のような大人)
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「創造力」は・・「自立力」に似てくるが、
「創る力」がなければ、造ってあるものを利用し、
それによって工夫が欠如して「何でもいい」みたいな気持ちになってくる。
「何でもいい」なら「選べる(選びたい)」ということにも気づけない。
既製品や品揃え重視のものしか目がいかなくなる。
造ってあるものだけで「省エネ生活をしてる」というよりは、常に「終活」。
最小限の使用範囲で済ませているなら、
「誰かが頑張ってる」という「創る力」を見ないようになってしまう。
そこばかり頼っていたら、無駄なプライドを育てていくだけとなる。
それで他人や社会の「正義」に反発を起こしていたら、
「創造力」は一向に身につかなくなるわなぁ・・。
品揃え重視の店ばかりを頼りすぎて、実生活は良いかもしれないが、
実質的に様々なものが巡りに廻らなくなってくる。
創造力もない人が増えれば、オーダーばかりになって・・
事後処理は何もしないで、状況に対し「加害者ではないよ」と言い張るようなもの。
後始末、後片付けもできないプライドが高い大人と化す。
(テレビ通販のような一方通行な考えになる。)
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「共生力」は、「創造力」に似てるが・・
「一緒に生きる力」ではあるが「一緒に」と「力」がない現代は、
支え合う部分がなく、ただただ「生きる」だけ。
品揃えを整えるための努力がそこにあり、工夫をする術も身につけれて、
他人のために働こうとする力でもあるが・・今はないよなぁ・・。
「金さえあれば、動いてくれるのでしょ」というのは傲慢な考え。
ふるさと納税などは、お金と返礼品の交換ってだけで、
実質的な応援にはなっていない。
本当の応援は「通販」感覚ではいけないのよね。
歌での応援の仕方も「熱血や前向きな歌」は、状況では正直ズレすぎてる。
頑張ってる人に頑張れと煽ってどうする。
やることが違いすぎ、追い込んでどうする。
「応援歌」で喜ぶのは、スポーツをしてる人かスポーツ脳の人だけよ。
アスリート並みの労働をしてもそれは喜びにくい。
癒し系の歌が合うのに・・熱血とかしんどいだけよ。
他人が作ってきたものを考え、同等に近い苦労をしてみる共感、
苦労や苦しみに見合った対価ではあるかどうか、食べて生きていけるか、
その器用さに見合った適材適所かを見極める力。
それがないと「共生」とは言いにくよなぁ。
(社会風刺としては(悪い意味での)「一匹狼」ではある。)
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自力、創る力、支え合う力がなければ、
既製品に頼って、楽をして、他人の苦労知らずで棒立ちで生きてる人間ではあるか。
そんなもの・・「孤立」というのだよ。
人々が、恋愛や結婚もしないのではなく・・
産業の在り方が「孤立」しても生きていけるようになってしまったから。
豊かさがぶっ壊れて、他人を思うことがなくなるほどの生活水準になってる。
SNSに心酔しやすく、依存しやすい環境と化してる。
「迷惑行為」という名の「大人の試し行動」も増えて、
本当の生き方をしていない「心が孤立した大人」に育てられた子どもがそうなる。
アナログやローテクに頼った産業であるほうが、まだ「孤立」ではない。
ハイテク産業ほど棒立ちで終わらせる仕事が増えるが、
それだけは「継承や面白さ」は後生に伝わらない。