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この2日ほど・・

心が乱れる。

 

社会に対してではなく、自分の心に対しての錯乱。

他者への影響はないのだけど、随分と心が迷わされる。

 

「原因」としてみたくはないが・・

風水的に「人物画」にみられて寝るのはよくないとされるが、

ほぼ見つめあって寝てるような状態ではある。

その人物画に心を使われてるような・・くすぐったいような・・

奇妙な感覚になる。

それは「迷い」とは違うが「悩み」を強制的に引っ張り出されて、

迷いにつながってるのはありそう。

頑固な私の一部の人格が抗うから「迷うこと」が「心地よい」と・・

錯覚し始めてるのもある。

 

それはおいといて・・

 

20代前半のころまでは、その「迷うことの心地よさ」は、

我がままな一面を持っていたが、自由な感覚だったなとは思う。

 

30歳で社会的地位や仕事への迷いが舞い込んで、

「迷うことの心地よさ」=「自由な感覚」が薄れて、

0.5ステージ分だけ大人になる感覚が優先されて、

「迷うこと」=「自由の欠如」=「時間貧乏」になって、

「迷うことの心地よさ」を忘れやすくしてしまう。

 

「迷うことの心地よさ」は、童心の一つなのかもしれない。

ホームセンターの工具売り場で、買うわけでもなく、

見た目のカッコよさで目をキラキラさせるとか・・・。

 

ハッキリとした生き方もいいが、正しい迷いで心地よくなれば、

他者依存のある生き方はしなくなるのかなと思う。

 

動画視聴に依存性を持つ人は、正しい迷いを持っていなくて、

時間貧乏になることが楽しいのだろうとも思える。

前進するには、正しく迷うことも必要かもしれない。

歪んだ迷いは、ただの傲慢とも言えそうだが・・。

 

正しい迷いに加えて、技術的な工程を直感的につかめるなら、

それは楽観的な考えにつながるか。

 

 

冒頭の「心の乱れ」は、ブログにも人間関係を持ってても、

あまり言えない事情が大きく混ざってるから語り切れない。

 

時間は戻らないし、戻したくない過去もある。