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若者が「やる気がある」みたいな発言をすると・・

私は「違う、そうじゃない」って思う。

「幸せ」と同じで、客観的で赤の他人が見て思うことだと思うから。

 

今の私の解釈で「やる気」を読み解くと・・

 

非常に物事に忠誠的に仕事熱心で、物事を多く見て、多く知り、

物事の良い面や悪い面を等しく説明でき、他人を正しく叱責できて、

自己反省と自己学習を繰り返して自分自身を奮起させ、

己の精神の状態や肉体の状態をよく理解して、それを常時調節し、

どんなに過酷でも、一定の仕事力を見せつけれる「狂人」であることが、

「やる気がある」ということ。

 

軽々しく面接などで「やる気がある」みたいに言うのは、

「そこまでの狂人なのか・・」と疑念を抱いてしまう。

それで雇って、仕事をさせて精神を病めば「やる気がない」判定になる。

昭和の面接官や人事は「ひ弱な人」扱いをして、精神面を理解しないはある。

根性論と同じ系統ではあるが、少し軍隊的な印象で使うべきことだから、

軽々しく使っていいものでもないと私は感じる。

それを以ってすれば「やる気」の解釈不一致でどちらにも正義がある状態と化す。

 

それがパワハラになり、モラハラにつながり、偽物のパワハラの可能性もあり・・

上は「やる気がある」=「軍隊的労働が可能」で「折れない精神と適切な体調管理」

下は「やる気がある」=「積極的に自分で動くこと」で「とにかく頑張ること」。

この解釈不一致は「経験値の差」で、どちらも同じ解釈でもある。

 

経験値がないのに自ら「やる気がある」なんて発言は、

「壊されても・・、文句は言うなよ」って話になる。

そういう正義があるから、気軽にパワハラ扱いをされても、

経験豊富な人間からすれば、イラっとするのは当然よね。

 

概念的な発言のような実際に見ると分かるような言語化されたものが、

経験値がないとその正義が成り立たない場合もある。

それが「ハラスメント」の要因となるのだと思う。

 

今は、テクノロジーで周囲を固めれば、すごーく楽はできるけど、

経験値はその分だけ付かないから、人からあれこれと言われて、

心が折れるのは当然よ。

自分の経験値の中からの「圧倒的情報量を超える」から、

精神状態がおかしくなる。

 

楽をできた分だけ、どこで経験値を得るかが肝心になる。

人に追い込まれてると感じるか、頼られてると感じるか。

 

日本は、野球型の産業が多い。

「仕事の千本ノック」を受けても折れないことが「やる気がある」ということ。

しかし、仕事に不信さを感じれば、適切に発言したほうが良いは良い。