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学生時代の思い出

年々、印象が薄くなってる・・そういうものか。

 

同窓会もないだろうし、あったとしても呼ばれない。

連絡先なんて伝えてもいないし、中学校までは遊び友達はいたが、

それ以降はほとんど遊びがなかったから、相手も印象が薄いかも。

 

中学校の同窓会は、いつかあると思うが・・多分しないだろう。

不快な思い出しかない割に、連絡先と家を知られてるという罠がある。

中学生時代の唯一の友人にどこかで会ったら、電話番号を教えてもらうか・・

電話はほとんどしないだろうけど・・。

 

学生時代以降は友人関係を築いていないから、

ほんと・・独りボッチ感だが、いろんなブログやSNSを見る限り、

みんな同じようなものなんだなと思う。

「壁を見つめても、友達はできないぞ」と自分で自分を叱責する。

 

(闇という意味で)怪しい関係になる恐れがあり、孤立してても問題はないが、

地震などが起きたときは心丈夫になるから、

1~2人でも、友人関係は築いたほうがいいなとは思う。

縦軸、横軸で心配してくれる人がいるだけで、生きる希望にはなると思う。

一方だけだと、見捨てられた感で不安を倍増させてしまう。

その一方だけになるぐらいなら、ボッチのほうがいいみたいなクチの人は多そう。

いがみ合ってる関係でもいいのだけどね・・

そっちのほうがナニクソ精神で生きようとするから、生存率は上がるかもね。

ダラダラ生活をして、未練があって・・あの世に行くようではね・・。

 

友人が多すぎても、心配事が多くなるから逆に心労を伴う。

心配するほどでもないぐらい信じてるなら、友人に無関心であることに等しい。

災害時に、急に友人関係ができるかもしれないが・・支えあえる仲なら良いね。

 

「友人関係」は仮免許のようなものだから「絆」という本免許のほうが、

よっぽど努力しないと無理な場合もあるかもね。

人に無関心だったとしても、共通の趣味や話題があれば、あまり変わらない。

見せたい趣味と一人でやる趣味は分別をして、見せたい趣味を友人関係で

出してしまえばいい、相手が分かっていても一から話すことで

趣味の解釈が微妙に違うことに気が付く・・。

それで楽しさが残るなら。絆は築けるかも。

 

SNSの見栄合戦で、自分を出し切ってしまうと「相手は私をわかってるだろう」と

慢心をしてしまうから、結果的に友人関係ができない。

SNSはプロフ帳にはならない、本来の時間軸の友人関係ではない友人ができる。

思ってる以上に「たったそれだけの繋がり、会話はする」でも十数度も会うなら、

友人関係だと思う。

可視化しないと条件を認めない一部の若者が恐ろしい。

永遠に「幸せとは何か」を探す人だろう。

 

そんな私は、友人関係はないから・・仕方がない。

どんなに出会っても、相手が裏切る予知ができてしまう。

意見が合わないとか、過去のトラウマもあるだろうが、

どういう条件でも裏切られるルートしかないわけで・・築くべきではないかもなぁ。

 

 

寝だめのイメージ

 

風も気持ちよく、晴れた日に、家の全部屋の大掃除をするのが、快眠。

湿度が高く、雨の日に大掃除をしたい・・とは思わないよね。

 

超多忙で、ちょうど晴れてる費が休みだった場合。

その日にお掃除をすると、それなりに埃はとれるよね。

天気の表情が豊かな時、その埃はいつでも取れるわけではないよね。

 

家に居てダラダラすればするほど、布がこすれて、埃となる。

これは働きすぎてる自分という見立てができる。

埃が溜まりすぎれば不健康になるリスクがあるよね。

多忙の疲労で、1日ほど休みが取れても、掃除をして埃は取り切れない。

 

規則正しい生活では、掃除はどこまでするかどうかを決めて、

それなりにキレイになれば良いとなり、

机の所有者しかわからない机の雑さ加減のような感じで、安定した睡眠を得る。