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「恵まれた環境」ってなんだろうね。

自分よがりな人が増えてる今では「ない」のかもしれない。

生きるのに必死だったり、ヤングケアラーだったり、虐待一家だったり・・

好きばかりを見ていても、ほかのことに恐怖する、不安視する環境にいなかったり、

問題の円の中にいなければ、表面上は「恵まれた環境」には違いはないと思う。

自分を抑えてばかりいても同じか。

 

そもそも「恵まれた環境」あるのかな。

平和的な環境は存在すると思うが「恵まれた」は、稀にしかないと思うのよね。

問題の円の中にいなければ、平和そのものであって、そこに存在できたのは必然、

人は問題の円の中に入らないとわからない感情だってある。

 

例えば

いくら「いいところの育ち」でも、大量生産の製造業で誰の手伝いも得られず、

ずっと働き続けれるかっていえば、アイデンティティの強度にもよるが、

病みからの立ち上がりはないと思う。

周りから「変わったね」という嫌悪感の感情さえ伝わる印象を与えると思う。

家系的なブランディングやプライドが壊されるからね。

人格も様変わりすると思うよ。

 

たまたまキレイな水辺で育った人は・・・昔の田んぼの水問題と変わらないか。

治水工事をして循環型にしていても、下流側は損でしかない・・・、

そういう場所は、漁業で生計を立てることはできるが、環境依存になるから、

「恵まれた環境」とも違う。

政治的な一面で整備された環境では、平和的な環境に過ぎないと思う。

収入がいいからというのも違う・・平和的解決で生まれた金額だから。

 

「隣の芝は、いつまで経っても青くならない」

「緑の染料」の取り合いが金銭の収入と同等なら、そうなってくる。

誰かが「緑の染料」を取りすぎてる。

政治的には、平和的な環境にはできると思うが「恵まれた」までは達しない。