休みだから、いろいろ思ったりするけど・・
今回は・・。
「自分の見たいものを優先にする」を手放しつつある今。
20歳より若いときは見たいものを優先したために、
その良さに気が付かなかった。
今でも、
アニメの「ワンピース」と「マラソン」が被るときは、
マラソンを恨むけど・・。
見たいものを見なくなった瞬間は、
本当の意味で周りを見れるから、
「祭り(神社の例祭)」の存続してる状況が、
すごくありがたく感じる。
人嫌いになっても、その祭りの音を聞くだけで、
人の温もりを感じれて、軽く涙しそうになる。
祭りは3日以内に終わるものが多いが、
それでも・・終わりには「儚さ」を感じれる。
1日間でも、2日間でも・・
漢字通りの「人」の「夢」でもあるから、
「祭り」の光景がすごくよく見える。
幼い時から刷り込まれた音色だから、
細胞が思い出してるだけかもしれないが・・、
祭りの・・このフェードアウト感は、
ドラマやアニメの最終回では再現できないと思う。
経験値と感情、思考で左右されるものだから、
万人には通じない。
アニメだったら、
学園物で、何かの大会で全力出すまでの物語だったり、
凶悪な敵と戦うための地道な作戦をする街だったり、
その短い過程ではないものなぁ。
最短で、こみ上げるけど・・違う。
人らしい「成長」を描写しようと思ったら、
寄り添い型のものになるから、
「忍たま」以上ぐらい毎日しないといけない。
淡々と過ぎる毎日で、
内容が面白くなくて・・かと言って、
視聴せざるを得なくなる、
俯瞰観点なしの一人称視点のそんな感じのアニメ。
それぐらいしないと・・
「祭り」の感動は描写できない。
少なくとも「聲の形」の「×」が剥がれていく描写が
「ちゃんと周りを見ること」に近く、
危険がないか左右確認としての周りを見るでもなく、
状況判断や指差し確認のような感じでもない。
「自分が見たいものを見る」を手放すと
そんな感覚が来る。
私の場合「×」はそこまで剥がれていないが・・。
何かを見たくないから、
何かをして、そこから離れる理由探しをすれば、
それはそれで人生の損失なのだろう。
もう少しか・・もう少しで、
人間らしい人生が好転し始めるか・・。
