いろいろ思ったよ。
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クラファンの支援や仕事の信条、信念、
それを考えると出身地もそうだが、
今いる土地の「祭り」「神社仏閣」は、
もっと大事にしようって思うようになった。
祭囃子は好きよ・・。
参加はしたいと思わないが、
小さなバックアップとしてなら、ギリギリできそうだから。
それも誰も知られないようなやり方で・・。
「祭り(神社の例祭)」は、
NPO・NGOに頼らなくてもいい面が豊富にあったりする。
祭りが廃れたり、そうなりそうだから、
NPO・NGOに話を聴いてもらったりするのでしょ。
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アマチュア無線とは、わずかに縁はあるが、
「日本アマチュア無線連盟」のような
目移りしにくい、実用性も廉価版の趣味でも、
しっかり今を生きても、
存続の危機に瀕してることも考えれば、
ほかの趣味系の協会も同じぐらいなのだろうと思う。
目移りする世の中では5万人~10万人の正会員が、
妥当なのかもしれないが、
年齢層が上がったり災害時などで、
一気に超高齢化の協会になって消滅してしまいかねない。
動画配信の時代がなくなれば、そっちに目が行くはずだから、
動画時代が良くも悪くも、消えたほうが本当はいいと思う。
派手派手で、刺激のある事ばかり求めてるから、
ラジオ的におとなしく、コソコソとした感じでは
落ち着かず・・多動でありたいようだから、
無線家をする人は、やはり今は居ないかもね。
SNSでコソコソする癖に・・無線はしないんだな・・。
ミヒャル何とかの「モモ」でも、
話す相手を選べばその人は幸せ、
けど、話したい相手に話さなければ虚しさで、
埋めるように自滅して気持ちがよい幸せは来ない。
傾聴のための教訓書なら、
なおさら、SNSやるより無線家のほうが向いてると思う。
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なくすべきではないものをなくしてしまったら、
人の気持ちが別へ移る。
「祭り」や「趣味系の協会・団体」の信念は、
すぐに移り変わることを抑えて、
生きる矜持を曲げない姿勢を保たせるための媒介。
武道の本来の精神と同じ。
尻軽な矜持は、苦労を覚えようとしないからね。
自由ではあるけれど、洗練・研鑽はできない。
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もしも、アメリカで「山車」を作って祭りをするとすれば、
中規模ほどのキレイな神社が丸ごと車両になってる感じで、
イメージとしては、祇園の山鉾巡行のやつが、
日本の道幅の三車線使うような規模。
神社型の超大型トレーラーハウスが動き回る感じ。
