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昨日の「嫌い」の記事から・・
本当に「嫌」というか「拒絶」の対象になりえる人のタイプを考えた。
苦労しない人間ほど、やはり拒絶タイプだなと・・。
仕事のストレスにシンプルに
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の精神性になってるから、
苦労しない人間に対して、すさまじく拒絶的になってる。
そして、そういう者ほど「憎まれっ子世にはばかる」になってるから、
苦労しなければ、いつまでも「子ども」同然ではある。
「外見」重視の世の中では平気かもしれないが、
平気で殴り殺したいほどストレス過多で苦労してる「内面」のほうが、
「仕事の信条」としては私は拒絶しない。
今までそういうパターンがあったのに自制して、バリバリに冷静な判断をしつつも、
それは、とんでもない仕事への精神力。
アスリートや格闘家が自分を追い込んでる光景は少し違う。
あれは自己犠牲ではない。
誰かから、過剰な要求を常に受けてきたことのある仕事ほど、
辛抱強さ、我慢強さなどが身について、
戦争の兵士並みの研鑽で目の前の仕事を捌き切れるぐらいの苦労、
余計な雑談や笑顔は不要で、報われない苦労の経験値が、
いろんな場面で大いに役に立つ。
それをしなくなった人が多くなったから精神が弱りやすい。
テクノロジーの発展がそうさせてる。
ネットという肉もない場所で「枯れ木も山の賑わい」をしたところで、
苦労はないに等しい。
「楽人楽知らず」。
休憩の頻度が多いような生業・仕事は、特に悪目立ち。
30半ばまで楽人な人は、そこからは苦労しかない。
体力が落ちて、身体能力や判断力の研鑽がないから、それから研鑽てのは遅すぎる。
おしゃべりな人で仕事ができない人は、役に立たないからね。
唯我独尊で生きてる人は、どんな時代も「仕事をする」と・・ただただ邪魔。
動画配信なんてのは「自分を称え、尊え、崇めよ」が素のままで見える。
日本人の昔ながらの肌感覚では「楽をしてる」と「唯我独尊」が重なってるから、
生理的に嫌いな人が多いが・・・人は鏡なので依存的になりやすい。
仏教的意味では見ないほうが賢明。
成功も、努力も何もかもネコババされるような状況で、
純粋に目の前の持ち場の役割を果たして、誰のためかもわからない、毎日疲れ果て、
自我を失ってでも怒りを自制できるような・・そんな状況が仕事ではある。
兵士的でもあり、囚人的でもあり・・功績も何もない、努力が報われることもない。
夏は、
人工的に涼しい場所が大好きな人が、沸騰化を気にするのと・・
常時、心頭滅却してるような仕事をしてる人が、沸騰化を気にするのとでは、
大きく解釈が違ってることを分かったほうがいい。
それぐらい苦労・苦境・苦難は、仕事をする上で大事。
四季が壊れるほど沸騰化を起こしておいて、間違った問答や対策をするぐらいなら、
「人の欲を利用した経済」を最初からしなければいい。
30年、あっても24年以上も「人の欲を利用した経済」が濃密に行われた。
24年以上、コツコツ温暖化に育ててきたのに「経済が悪だ」ということから、
目を背けてないか、覚悟が足りないから、間違った対策をしすぎてるのではないか。
社会を見てると・・そう思うけどね。
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ダンス動画なんてのは・・結局は「名言集」の成り代わりに過ぎないから、
共感しなければ飽きやすい。