最近撮った写真は

昨日、撮ったやつ。

 

縦雲は、スピリチュアル的には、

精神の成長や精神に関わることを表すそうだが・・。

 

ネット社会は怖いな。

こちらはただ単に感想や詩的表現をしただけで、

まったく傷はつけるような表現をとっていないのに、

相手に、傷つけられたと認知されて、

標準語で強く、一文で返信が来たとき、

こちらが悲しくなり、傷つく・・。

潜在意識が

この人を応援しようと決めた人にそう言われたら、

さらに悲しい。

個人を応援するのは、やはり良くないことなんだなと・・。

 

私は組織や地域の応援だけで、

木の陰で、そっと居るだけでいいんだな・・。

 

私が20代だったら、

人間関係リセット症候群になってもおかしくはないぐらい、

悲しく落ち込んでる。

文章表現に自信があるから、なおさら・・。

 

私は「ライター」という表現ではなく、

「私は、物書きなんだ・・」と改めて実感した。

目の前のことに傷つけないように感想を述べただけで、

相手の誤認で自分が傷つくようなぐらいの返信がくるのは、

文章好きで、目の前のことが好きだから・・、

悲しさが倍増するのだろう。

 

そして、その原因と成長点は、

小学生・中学生・高校生時代、特に15歳前後の時、

学校主導の交換日記や読書感想文がうまくいかなかったとき、

潜在意識的に勉強をして、文章に自信を持つことに意思が働いて、

なにくそ精神ではないが、とにかく表現したいみたいな・・。

小説は読まないが文章が好き・・。

だから、リズム感の悪い表現で返ってくると傷つきやすい。

 

特に、私は都会育ちではない分、

目移りするものに囲まれていないから、

学校でやるような授業内容のどれかに特化し始める。

 

世に出れば、好奇心はうずくけれど、

育てた特徴が軸になってくる。

 

詩的表現としての日本独特の音楽性の受け取り方が、

人それぞれが過ぎるから、

祭り好きでないと理解しあえないものとか、

疾走感のある音楽が好きなもの同士でないと相容れないとか、

それで、一喜一憂、喜怒哀楽を起こしてしまう。

人間味はあるが、ネット上だとそれが極端になりがち。

音がないからね。

ラフな感じで送ったものが、標準語で丁寧に返ってきたら、

争いの意思(宣戦布告)として受け取ってもおかしくはない。

もめるのは、そういうのもある。

 

私はモノを書くのが好きだから、

レズバのようなことはしたいと思わないのよね。

音がないのになぜ楽しめるか、なぞだもの。

 

目の前で起きてること、体感・経験したことなどを書き示して、

純粋な想像力で、物を書くことが好きなのだから、

嫌いになるように動くことができない。

 

 

 

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