家と仕事場では、歩幅と足音が違うから、
家では、少しだけ息が上がる。
日ごろから仕事場で舞うように動き回ってるから、
遠慮なしに歩幅を大きくできて、
足音も気にしないで済む。
家だと廊下や階段の距離が短い上に、
遠慮なしに歩幅を大きくできないし、足音にも気を遣うから、
仕事場とは違った運動量になる。
現場業でも「なんでもいい」って考えだったり、
人に使われることへの不快感を持ってる人だったら、
家でもドタドタ歩くだろうし、
無用な仕事を押し付けてくるだろうけど・・。
私は違うかな・・場面で気を遣う。
人によって見せる顔が違う人とは少し違う。
そうでなくても、人によって見せる顔が違うことが必要でもあり、
不要でもあるのよね。
会社で受けたことを家に持ち込んでしまうでしょ。
私の話術は敬語は使うことがあまりない。
40歳近くで、タメグチが治らないのは社会的にヤバい人か。
この歩幅や足音の気遣い。
そして仕事のリズム感。
「パーキンソン病」の構造が何となく見えてくる。
例えば、現場業から離れて責任者になり、
現場で動き回っていた分の「リズム感」が途切れて、
「足回りの運動量」「気遣い」などの全体的なバランスが崩れて、
環境に適応できなくて、発症するのかなと私は思った。
50歳以上が発症とあるなら、
一族経営や飲食業、第一次産業でなければ、
出世や引退がつきものだから、リズム感や気遣いが全部変わるよね。
そのあたりは、職業の統計を取ればわかりそうなもの・・。
統計大好き人間ではないから取る気はないが・・。
かなり過去にも書いたことだが、
高齢で働く人がよく口にする「働いてないと死ぬ」は本当になる。
(飲食業で引き留めに合いながらも、70歳以上で働く人もいるぐらいだから、
リズム感と気遣いが一定である証。)