効率化は、人を優しくしない。
効率をよくすれば残るのは「固定された時間」と「固定された手間」。
その状況下で、仕事を山積させるとなれば、
「時間」に対してのストレスが途轍もないものになる。
疲労困憊になりがちで、仕事の単価が下がってるので、
経済的豊かさを「仕事量」で、
必死に求めれば求めるほど、逆効果になる。
「一喜一憂」は効率化を阻止できる言葉。
1人の喜びは「僖」で楽しくなり、
1人の憂うことは「優」となる。
丁寧にする「手間」がなければ、喜べもしないから、
「僖」で、楽しむこともできない、破壊衝動となる。
心配する「時間」がなければ、憂うことにもなれない。
「優」で、優しくすることもできない、攻撃衝動となる。
仕事や気持ちの「余韻」と「間」は必要。
常時効率的になっていたら、
「軍隊ですか」ってぐらいの精神性になってくるから、
自由度を感じなくなって、人生を楽しめない。
他人がなぜ喜ぶのかわからなくなって、
抑え込みたくなる。
余韻と間がはっきりしてる段階で、商品の値段を出すべき。
談笑時間が2時間以内に収まるようなぐらい。
(表舞台の人でもそれぐらいはしてるだろう。)
効率化のあとの段階で、商品の値段を決めていたら、
人手不足になったり、後生がしんどくなるのは当然。
談笑もしたいと思わなくなり、人という感覚もなくなり、
暴徒化のスイッチが入りやすい。
(裏舞台の人が黙々としてる中で、
表舞台の人が談笑してる光景はストレスでしかない。)
変な経済学に取付かれすぎだろって思う。
作り手のほうが倫理的な意味で、
価格破壊を受けすぎて、生きてる意味がない感覚にもなる。