どっちがいいのか。
「苦しみを知りつつ、苦しみを感じる」
「楽しさを知りつつ、楽しさを感じる」
人それぞれの解釈でいいとは思うけれど、
シンプルな見方では、
前者は「Mな人」で、後者は「Sな人」ではあるが、
少し深読みすれば、
前者は「状況を理解して苦楽してる」、後者は「状況を誤解して苦痛に感じてる」
とも感じ取れる。
楽しみのベクトルは、楽しみのベクトルの方向性でしかないから、
感情の正方向でしかなくて、楽しみの方向性も直線的になり、
「飽きる」という名の制御装置が働かなければ、
義務感、使命感に囚われるだけでなく、依存になって、
心から苦痛になってくる。
苦しさは人間の人生で嫌なことではあるから、
ベクトル的には、思考の逆方向を常に向いてる。
楽しみの方向性がつぶれない限り、楽しみは無限に広がりやすい。
その苦しみは、疲労が発生すれば正方向に行く力も弱まるから、
苦しみは苦しみでしかなくなるが・・。
◆
ユーチューブでの配信者に限界が近いのだろうなぁ・・と思ってる。
例えば・・
「子どもを予防接種に連れていきたいのに、
子どもが、あの手この手で言い訳と予定を作っていかないようにしてる」
そう受け取ってしまうような動画の傾向だから、
生業としても成立しなくなりつつある感じがすごく溢れてる。
話題性に無理が出てる。
時期にバズらせようとする考え方もなくなるだろうね。
早くて20日~34日ほどで飽きる傾向も分かるから、
それだけ・・分かってるよね・・。
観てる側が病人感がすごいから、
「人は鏡」とすれば、配信者は病んでる。
繰り返し繰り返し・・無用な時間を過ごしてる感覚に陥る。
音楽にも限界が来てると思う。
斬新な早口系も、さほど新鮮味も感じない。
人の体内リズムを早めて、仕事に支障が出て迷惑し始める。
そのテンポで仕事をするようなノリでないと、音楽は常に聴くものでもない。
観てる側が、苦痛になり始めてるのだから、
それはもう「電子ドラッグ」と明言してるようなものだ。
余計な依存度合いは、時間の無駄だし・・。
口巧い系の配信者に人生相談するのは、
人生の言い訳を作りたいだけではないかとも感じてしまうし、
自分の人生のムードメーカーに、話すべきことを話さないからしんどくなる。
もはや動画配信は「灰色の時間泥棒」にジャックされてるようなものだ。
◆
学校の勉強と同じで、意図的に難しく考えさせるように誘導してるだけで、
動画編集はクソみたいなぐらい楽だからね。
字幕を付け加えて、切り貼りするだけの作業だし・・。
編集ソフトが回りくどい表示をしてるだけでもあるし・・。
昔やったことはあるが、講習するほど難しいものでもないと感じた。
どの職業や得意分野でも、
「え?そんな簡単なことを講習してお金とるの?」というのがあるが、
動画編集はまさにそれで、習うほどでもないこと。
最小限の機能さえ分かれば、建築的に・・。
動画編集の講習するとしても、最小限の機能を教えればいいだけだから、
正味3~5分で終わると思うよ。
パソコンの動かし方が可能な人がスタートラインならね。
それに5万円以上かける価値があるかどうかだよ。
最小限の機能を教わって、残りは自分の探求心と研究力を損なわずに、
編集ができるほうが楽しいと思わないか。