時間がもったいなかったこと

どっちがいいのか。

 

「苦しみを知りつつ、苦しみを感じる」

「楽しさを知りつつ、楽しさを感じる」

 

人それぞれの解釈でいいとは思うけれど、

シンプルな見方では、

前者は「Mな人」で、後者は「Sな人」ではあるが、

少し深読みすれば、

前者は「状況を理解して苦楽してる」、後者は「状況を誤解して苦痛に感じてる」

とも感じ取れる。

 

楽しみのベクトルは、楽しみのベクトルの方向性でしかないから、

感情の正方向でしかなくて、楽しみの方向性も直線的になり、

「飽きる」という名の制御装置が働かなければ、

義務感、使命感に囚われるだけでなく、依存になって、

心から苦痛になってくる。

 

苦しさは人間の人生で嫌なことではあるから、

ベクトル的には、思考の逆方向を常に向いてる。

楽しみの方向性がつぶれない限り、楽しみは無限に広がりやすい。

その苦しみは、疲労が発生すれば正方向に行く力も弱まるから、

苦しみは苦しみでしかなくなるが・・。

 

ユーチューブでの配信者に限界が近いのだろうなぁ・・と思ってる。

 

例えば・・

「子どもを予防接種に連れていきたいのに、

子どもが、あの手この手で言い訳と予定を作っていかないようにしてる」

 

そう受け取ってしまうような動画の傾向だから、

生業としても成立しなくなりつつある感じがすごく溢れてる。

話題性に無理が出てる。

 

時期にバズらせようとする考え方もなくなるだろうね。

早くて20日~34日ほどで飽きる傾向も分かるから、

それだけ・・分かってるよね・・。

 

観てる側が病人感がすごいから、

「人は鏡」とすれば、配信者は病んでる。

繰り返し繰り返し・・無用な時間を過ごしてる感覚に陥る。

 

音楽にも限界が来てると思う。

斬新な早口系も、さほど新鮮味も感じない。

人の体内リズムを早めて、仕事に支障が出て迷惑し始める。

そのテンポで仕事をするようなノリでないと、音楽は常に聴くものでもない。

 

観てる側が、苦痛になり始めてるのだから、

それはもう「電子ドラッグ」と明言してるようなものだ。

余計な依存度合いは、時間の無駄だし・・。

 

口巧い系の配信者に人生相談するのは、

人生の言い訳を作りたいだけではないかとも感じてしまうし、

自分の人生のムードメーカーに、話すべきことを話さないからしんどくなる。

 

もはや動画配信は「灰色の時間泥棒」にジャックされてるようなものだ。

 

学校の勉強と同じで、意図的に難しく考えさせるように誘導してるだけで、

動画編集はクソみたいなぐらい楽だからね。

字幕を付け加えて、切り貼りするだけの作業だし・・。

 

編集ソフトが回りくどい表示をしてるだけでもあるし・・。

昔やったことはあるが、講習するほど難しいものでもないと感じた。

 

どの職業や得意分野でも、

「え?そんな簡単なことを講習してお金とるの?」というのがあるが、

動画編集はまさにそれで、習うほどでもないこと。

最小限の機能さえ分かれば、建築的に・・。

 

動画編集の講習するとしても、最小限の機能を教えればいいだけだから、

正味3~5分で終わると思うよ。

パソコンの動かし方が可能な人がスタートラインならね。

それに5万円以上かける価値があるかどうかだよ。

 

最小限の機能を教わって、残りは自分の探求心と研究力を損なわずに、

編集ができるほうが楽しいと思わないか。

 

 

 

 

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