私の仮説として・・
多様性の1つの条件は、
「対物愛」で、何に対して「愛着理論」を持ってるかだと思う。
「対人愛」は人間関係だが・・、
孤立してもできる趣味があることから「対物愛」が軸となりそう。
たとえば「勉学」だとすれば、
口うるさい学者や学生があふれるのは当然で、
それが「愛着理論」としての「対物愛」なのだから。
口うるさい学者に愛着が湧けば、
同時にこの人は信用できると思って宗教的になりやすい。
例外的なのは「無関心」という「愛」。
対人、対物どちらでもあるし、どちらでもない。
息をするように見てるか、ゴミのように見てるかのどちらか。
対物愛のある人が対物愛のない人を見ると、
違和感を感じる。
それが認知されるような出来事になってると、
当たり前だろうと否定的になる。
そういう人を「ダークトライアド」と捉えるようになり、
愛が見えてこないからこそ、
被害を受けてなくても生理的に無理になり、
多様性と認めたくはないと感じる。
その愛は「ラポール」や「自己開示」とも言えるか。
一定のことをされたら信用できなくなり、
飽きに近いものを感じる。
