「自分である」という意地を保ってないと
ジェンガみたいに心が壊れそうではある。
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「○○らしさ」論争なんて・・
私の深読み解釈からすれば、
「人権はないでいいね?」ってなり、
「人らしさ」がトチ狂ってくる。
人間やめても咎める人はいないね?
都合のいい時だけ「人」であっていいね?
そういう答えにも行きつく・・
思考が魔族か・・。
十人十色を全部知ろうとするとダメなのか。
自分は自分ではあるが、
自分がそこに存在し得ることが正しいと言えるのか。
その存在は、真っ当な感覚であるかどうか。
バグりそうなほど、心がジェンガのように揺らぐ。
人間関係を持つと逆にいいかもしれないが、
逆に悪いかもしれない。
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現に・・
「らしさ論争」は、
企業のブラック体質も容認することにもなりえる。
「人らしく働かせなくていいよね?」ってなるから。
企業の上層部が「こういうことが人の生き方」だと、
認めた上で、そういう働き方をさせてるのだからね。
11時間だろうと、23時間だろうと・・。
そして直感的行動で、
人々がとるのは、人らしくあるべきではないなら、
「結婚しない」選択をしやすい。
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日本にとって「親戚の集まり」や「街の祭り」は、
人間関係の経験値の源でもあり、
「サンプリングバイアス」を起こすかどうかの場面でもあると思う。
標本の偏りがあるから、色々ブレが生じやすい。
生理的に受け付けないことが自分の中にあれば、
生理的に受け付けないという標本に入ってしまって、
正しい標本に入るべきものが一部が欠けてるから、
その統計の中に入っていなければ、そのことが偏見になってくる。
十人十色の集め方はそういうイメージ。
メモとかそういうのではない。
