私の仮説になるが・・2つほど。
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人は50時間の中で、
「心のリズム」を維持するための「心の小瓶」を持っていて、
その中には満タンに液体が入ってる。
その時間の中でストレスが同時多発的に4か所以上で発生、
あるいは発生予測をしたとき、
「心の小瓶」の液体は、ストレスの熱で徐々に蒸発する。
それの積み重ねの不安要素が続けば、
液体は水分を失い、小瓶にヒビを入れ始める。
人のせいにできない人(責任の所在を明確にできない人)、
人から仕事を押し付けられたとき、
仕事をしようとしたのに呼び止められて無用な仕事で歯止めをされたとき、
無目的と化した仕事をやり続けてるとき、
明るさを必要としてるとき、
膨大な量の想像を日ごろからできないとき、
我慢や忍耐ではなく、我を抑えるとき・・。
そういう時、人こそ、精神が病みやすい。
社会は馬鹿だから、
他人に膨大な量を押し付けて平気で楽しようとして、
めぐりにめぐって自分に返ってきたり、身内や友が病むことも関心もしない、
大量生産は辞めたほうがいい。
生きる意味を与えるには、適度な苦労が人には必要。
苦労の偏りがひどい社会では、テクノロジーの発展は意味をなさない。
この年収経済という病気の中では、人は笑顔にはなれない。
表面上の出鱈目な笑顔で、マヒした感情と意見を持つだけになる。
大量生産は、一つのイメージとしてお酒と同じ。
戦後復興で、なにくそ精神で過剰生産をし続けて、日本を支えてきたが、
他人任せの世の中と合わさって、バブル経済という名の「休憩」が長すぎて、
その過剰生産に心が徐々に追いつかなくなり始めたと考える。
平成の終わりあたりには、精神疾患が強く表舞台を駆け巡るようになった。
特に隔世遺伝化のようなぐらい発達障害の症状条件の人が増えた。
「こだわりが強い」というイメージから連想されるのは、
日本らしいモノづくりではあり、
一部は日本つぶしの出来事だったのかもしれない。
だから、お酒を長期間やめてから再開したとき、
酒豪は飲めなくなった人は多いと思う。
そういう感覚で精神病も発生するかもしれない。
一度、楽をするとリズムが狂うから、
徐々に離れるほうが一番。
下積み不要論は、なし。
下積みは長期に渡るアップトレーニング。
老後も働くことはクールトレーニング。
それがないまま、トップスピードで若さを強みにしていたら、
つぶれるのが早いのは当然になってくる。
学校の進路方法にも難はある。
絶対それって言い方で進路相談を各個相談をさせる。
柔軟に対応できる若さがあるのに、学校にいる段階でガチガチに決められて、
堅実さは必要だが、それで社会に出てから息が詰まると思わないのか。
ニートとは言わないが、猶予期間は必要だろう。
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SDGsもそうだけど、大学は地球温暖化を全否定してるが、
「経済が壊れること」を恐れてのことは明らか、
温暖化有無のゼロ地点での観測が全く取れてないのに変な計算で、
仮説をとってそれが答えかのように言う。
そのゼロ地点は、世界規模で発電や工場などの一切と止めて、
最低5年経ってから、その年から5年観測することで把握できる。
世界規模で工場がどこかしら動いていれば、
数値に変化があるわけがないだろ。
数値計測は、発電・工場・経済の最低10年間の全停止が前提。
