仕事は、バテバテ。
「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」
これに出てくるバケモノ側を
10時間ずっとやってるようなぐらい走り回ってる。
マジでシャトルラン。
視覚聴覚は、過負荷。
設備が一部使えなくても、パフォーマンスは落ちていない。
それぐらいパターンの経験値があるから。
冷蔵庫並みの寒さにも若干慣れてるが、低体温気味は避けれない。
あばら家のような風通しの良い場所だから・・。
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「いのち」の「相談窓口」について思うこと
この存在は、あまり意味をなしていないのではないかと思う。
仕事で上司や経営者が圧をかければ、
人を押さえつけれるだろうし・・。
たとえ、「相談に乗るよ」と言われも信用できない。
ハロワや労基も、親身さがない「相談」であったりすると、
頼りたいと思わなくなる。
親とか家族が社会的洗脳を受けていたら、
その影響下をあらがっても、同調圧力で苦しめられるし・・。
一度そういう目に合うと「相談相手」として不適格と判断する。
いじめを受けていたころも、
「先生に言うなよ」と「相談」する相手をふさがれる。
親にも言えない。
つまり
「PTSD」の引き金が「相談」という単語だから、
その窓口があっても電話しがたい状況、心境に陥る。
自力で乗り切る手段を常に考察する人生になる。
変な人に相談しても、
「相談」のキーワードで信用してないのに、それを聞く、
実行しないのに、それを聞く。
そうなってくるのよね。
家族、社会、友達の三竦みで「相談できない相手」と判断したら、
そりゃ・・だれも信用できないわなぁ。
電話もかける気が起きないのは当然。
自己肯定感がどうとかいう問題にもなる。
信用できていない状況は、それどころではない。
占いを「信じる信じない」の問答をしてるような心境に近くなる。
占いは、あくまで「指針」なのだけどね。
◆
「進路相談」もあくまで指針に過ぎなくて、
絶対「その道」ってのはなくて、結局は自分で決めること。
多くの学校は、確定事項のようなぐらい厳密にしようとしてるが、
指針が立っていたら、別にする必要がないのよね。
自我が確定していない状況では「相談」の前の段階が必要。
「見つけること」。
私もその類ではあったからね。
◆
本当に「相談したい人」ほど、
相談相手が居なくて孤立してるものだ。
「うつ」のような状況と類似してると思う。
まだ電話をかけれる内は、
「話し相手が欲しい」の段階だと思う。
けれども、
それが癖付いて、多弁になって、ヤンデレ化して、
少し面倒になって他の人が電話できない状況になってるのもありそう。
