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「生きる目的は何か」・・という問いよりも、

「「生きる軸」や「生きる芯」は何か」という問いのほうが適切かもね。

それが「自己中」とは違う「自分軸」だと思う。

 

面白いこと、我儘が言える状況、嫉妬できる状況、

テレビや動画の媒体があるから・・とか、面白い友人がいるから・・など

それを「目的」にしてしまうと病むと思うんだ。

精神的なロスを起こしやすくなる。

 

「生きる目的」があるなら、誰だって「誕生拒否」するよ。

それが斜め上に叶って、生殖機能を失わせるような事象が起きやすいのだろう。

「人間社会の政治的状況」「経済的理由」や「肉体と精神の状況」などの要因。

 

芯がない状態で、自分本位な行動をとると・・それは「自己中」でもあるが、

自らの思いのままに動くから「自由」ではある。

大金を持つと、これになる傾向があるのが庶民人間。

芯がないから制御ができていない場面が出る。

それを客観的にみると見苦しくも、醜く見えてくる。

堅実に生きてる人から見れば、信用したくはない人柄ではある。

 

軸がない状態で、自分本位な行動をとると・・器用貧乏だよね。

「器用貧乏の状態であること」を軸にすれば、

全体を見ながらの行動ができることだから、気遣い上手にはなる。

それは「自分軸」ではなくなるが、状況を動かせるメリットは大きい。

自我を失いやすく、無私になりがち・・。

客観的に洗脳や社畜に見えるため、自由人の視点は見苦しく見える。

 

個性で固めれば、話が終わってしまうが・・。

 

十人十色を全部説明することを諦めた人が「多様性」を語る。

それは「多様性」の名を借りた「気遣いの差別」ではある。

今まで通り振舞えばいいのに人間同士に壁を作ってるよね。

 

「見える化」が実は「見えない化」になってることと同様に、

多様性を重視すればするほど、お互いに認め合っていない状況を作り出してる。

人の目を見て判断していないからね。

「生きる目的」としての判断ならそういう「悪化」を招き、

将来の戦争につながってくる。

 

宗教解釈の違いの戦争はそこからでも来る。

その解釈を「生きる目的」にしてるから。

軸や芯にすればいいものを「目的」にしてしまってるためにややこしい。