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石川で地震か・・気を付けてほしい・・。

ブログのほうで過去に予測は立ててたが、思ったよりも・・というところ。

場所までの予測はつけてはいなかったから、外れたに等しいけどね。

もう少し観測力をつけないといけないなぁ。

(こっちまで、赤ちゃんの「ゆりかご」のペースで揺れた(震度3)。)

 

地震が起きる前に、9か所に寄付をしておいた。

去年はアレがあったから、過去一、少なめかもしれない。

去年まではほぼ一律ではあったが、優先度で寄付金は決めた。

 

一部は、2月のクレカの請求になるか・・。

 

 

多様性の究極は「無関心」だと思う。

無関心だからこそ、いろいろ接することができるのかもしれない。

 

「人は人、他人は他人」というのが、究極の多様性でもある。

誰どんな良きことをしても、悪しきことをしても、無視することが多様性。

評価社会になってるから・・ややこしくも「嫉妬の世界」になってるだけ。

 

昭和中後期までの人は

「若者には自由を与えたほうがいい」と口だけの行動だった。

それ以降の人は、

「言われたからと言って、自分を変える必要はない」と口だけの行動。

 

未来への舗装をしすぎて、後生が楽をするのもよくないが、

舗装しなさ過ぎて、後生が今の生きてる人を「老害」扱いするかもしれない。

多様性は、簡単なようで難しい概念。

 

評価社会である限り、無視をするわけにはいかないが、

無関心すぎるのもよくはない。

 

今の現代っ子は、キッカケがないと動けない人が多いようにも思えるから、

キャンペーンや返礼はないほうが実はいい。

 

もう・・全員1位みたいな世界観ではない気がするよね。

競争心や見栄とか・・ちゃんとコントロールができていないから、

私の視点からすれば変に見えるのよね・・。

 

飽和状態が過ぎた上で、ご褒美がありすぎる。

いつでもどこでも、ご褒美の状態だから活力が生まれないのは当然だよなぁ。

都会のオフィスと経営者の懐しか温かくならない。

「縁の下」の仕事も人が集まりにくい。

輝けない、客が見えない、動物園みたいにみられる・・そんな流れの印象。

泥をかぶせ続けてきたなら、そろそろ泥を落としてあげないと、

死んだ多様性と歪んだ多様性がはびこるだけになり、後生に迷惑がかかる。

 

多様性が無関心なら、今でいいじゃない・・ってなる。

見える概念にわざわざしたがるのは実行してることに不安だからか・・。

経済が回らないからか。