最近の学びは

 

「悪魔の証明」ならぬ「創造主の証明」って難しいね。

「かごめ、かごめ」の歌のような「時代改変が通じない」必然事象以外。

おおもとの歴史。

改変を重ねすぎて今になってるとしたら面白いよね。

 

卵が先か鶏が先か。

そういう話になる。

 

不信感のループ。

 

学者の文献は「浸透、拡散」の後の事象からのものが多いと思う。

その文献を書く前は、平時は何もなかったと思う。

陰謀論的に言えば

「その出来事を事前に広めて、自分の文献を見てもらう」

という魂胆もありえなくはない。

名声や富を得れるからメリットはある。

 

その文献が正しいかどうかという証明ができないよね。

そういう文献通りに社会を仕立て上げた可能性があるからね。

 

例えば、サボテンはなぜ緑色なのか・・という文献があったとすれば、

目撃者の記憶はあやふやになるものだから、

「緑色」に遺伝子を書き換えて、「緑色」という前提を作り出してる。

 

そういう文献を書けるのだから当時、技術があろうとなかろうと・・。

あまり関係はなくなる。

 

言語化して、文章化したからこそ、その事象が発生したことが、

当たり前になってるのが当たり前、それが「文献」。

 

陰謀論の心酔者は、これ以上のことを考えるのだろうなぁ・・。

疑似的に思考を組み立てたけど・・。

 

 

 

 

 

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