仕事はないが、健康運の文言を見て思った。
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NHKの「ロッチと子羊」の「54回」の放送を観て、
「アリスティッポス」の話が出たとき、
「あぁ、繊維業だな」って思った。
大量生産は、無駄な生産だ。
鞄にいろいろ詰めすぎて、個人の自由を奪い散らかして、
個人消費を壊しにかかるという本末転倒な話に近い。
大量に「物」を扱う会社は、「快楽主義」が行き過ぎて、
働き手を奴隷にしてることに気が付かない。
個人の尊厳はどうでもよくて、
良いように思われたい一心しか見えない。
自分さえよければ他人はどうでもいい精神が横行して、
経済は戦争と化し、
温暖化の原因を作ってることにも否定をし始める。
己の快楽(売上重視)のために、他人をこき使うなよ・・。
あの感覚は正しかった。
「ランドセルジャンケンで負け続ける」。
どちらかといえば、強制的に負けさせられると言える。
正社員という8時間~12時間の拘束時間がある限り、
興味のない仕事であればあるほど・・、
趣味などの時間が常に持てないまま、
ワーカーホリックにされる。
(卑猥な意味ではない方の)自分の快楽を求めれない状況。
大量生産は、本当の意味で奴隷的な産業。
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その前に紹介されていた「プロティノス」は、
「固有性」や「本質」に関する名言を紹介していたが、
本当に打ちのめされたいと願う人がいるなら、
「快楽主義者」の下で働くといいと思った。
必ず、干物になるまで働かされる。
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ユーチューバーを見てると・・。
「仲間存在の確認」や「欲求」が満たされないと・・、
みんな「青葉容疑者」の道を歩みそうな人たちが多いなって思った。
それぐらい社会は「芸術」を特別な自由として、
取り扱ってきたせいでもあり、
稼げないの何だのとその道を閉ざしてきた社会の反動。
アニメーターの低賃金問題も、
青葉容疑者の裁判を見れば、
裁判所やテレビが、芸術を否定してる社会の象徴を裏付ける。
命を懸けてまで、人生を懸けてまで、
そのコンテストに応募してるという考えを「審査」側が、
持たない限りはこういう事件は定期的に起きるだろう。
もちろん、
余裕があったり、惰性で作られた作品の応募もあると思うが、
それでも人生を懸けてまで作られてると思って、
審査側を務めたほうがいい。
落選された旨をちゃんと手書きの文字で伝えたほうがいい。
審査側からすれば逆恨みでも、応募人からすれば、
気持ちが沈み込み絶望するほど、
社会を恨む場合もあるから。
私が中学校までの時に、コミック雑誌の懸賞に応募した際、
(「ボンボン」や「コロコロ」の類)
「絶対当選する」と息巻いて、当選しなかったとき、
「絶対だれか、ハガキを捨ててる、届いてないだろ」と
社会を恨んだことさえあった。
それぐらいの童心で、人生を懸けて応募してる場合もあるから、
審査側は気を付けたほうがいい。
真剣さが足りない。
