今ふと思ったこと

 

どういう環境が望ましいか。

矢印解釈は文字列的なイメージ。

 

希望的観測の「職業」と「家庭」

→ 純粋ポジティブ、人生が進む感覚が気持ちよい

 

絶望的観測の「職業」と希望的観測の「家庭」

→ ブラックでも頑張ってしまう、自己欺瞞に誘導されがち

 

希望的観測の「職業」と絶望的観測の「家庭」

→ 親の意向が強めだが仕事場が好きな状態、ギリギリ相談相手は居る

 

絶望的観測の「職業」と「家庭」

→ 親の意向が強く、仕事もブラックで、相談相手がいない、人生が進まない

 

希望的観測と絶望的観測が入り混じった「職業」か「家庭」

→ 共依存に陥る、毒持ちに支配されがち、それが当たり前だと思ってしまう

 

希望的観測と絶望的観測が入り混じった「職業」と「家庭」

→ 認識の違いを見いだせず、村八分を起こしてしまう側

 

大人になっても、縦社会や主従関係を考えていたら、

親子関係のように悪い面も吸収して、

「カエルの子はカエル」で、会社で起きたストレスを家庭に持ち込みがち。

それが「絶望的観測」の家庭を作り出してしまう。

 

会社で苦しんだことを家庭で吐き捨てて、

家庭を苦しませる結果を生んでさらにストレスになる。

いつまでも「そういう扱いをしたがる家庭」を作り出してしまう。

 

今の社会が変わらない限り、いろいろ改善されない。

たかが1社のブラックがホワイトになったところで、

仕事のしわ寄せで、他が黒の濃度が高まる。

 

商品の値段、価値、労働単価は全部見直さないと・・

いつまで戦後復興のままなのだって思う。

努力は報われない社会を作り出してることに気が付いてるくせに・・。

 

絶望的観測をばら撒いておいて、

「結婚しろ」とか「子孫繁栄」を目的とした手当をよく出せるよなぁ・・。

時間がない上に、無用な経済回しで人生をネガティブにされてるのに、

低賃金で・・時間に縛られてばかりでは、個人消費はないに等しいし、

会社が会社なら、離婚率も高めてしまう。

 

今の社会は、100人中95人に過酷な労働(過剰生産の仕事)を与えて、

3人だけで経済を回そう、2人は不労取得・・って流れ。

私視点は、社会は意味のないことをしまくってる。

 

都会と田舎

 

都会は、人が多いから伝言ゲームはズレて発信されるため、

村八分にはなりにくいが、密集してると発信されたものは、

伝言ゲームにはならないため、真実と受け取る。

 

田舎は、人が少ないから伝言ゲームではズレが少なく、

すぐに広まり、村八分はすぐ起きる。

密集してると目の前の出来事が当たり前と受け取る。

 

場所が離れすぎてると、無関係と思うのはどちらも同じ。

 

ひと昔は、女は「目的」、男は「夢」を追えば、

容姿が若々しいままで居られやすい。

(青春やロマンを追い続けるほうが良い。)

 

今は、職業次第では、年を取った時、容姿が一気に老いる。

人生の目的や夢が「仕事」に縛られてる人ほど、

引退後に体が弱る。

自分の目的や夢を諦めない人は、老いにくい。

容姿も体力的にも内面的にも。

 

ボケたとき「この人に、いじめられる」とブツブツ言うお年寄りは、

仕事に縛られすぎて、仕事中に社会からのいじめだと思いながら、

仕事をした後に引退してるはずなので、その脳のストッパーが外れて、

「当時」、思ってたことを口にしてしまうと思われる。

その人が現役時代の仕事が「お客の見えない」仕事であれば、

「この人にいじめられる」というのは、筋が通ってるのよね。

消費者が見えないのだから、無差別に「いじめられる」と公言するのは、

致し方がないと思う。

お客が見える仕事でも、細かい要望に応えようとするものであったり、

認識の違いで要望が噛み合わなかったりすると、そのストレスを抱える。

 

休日になると蓄積疲労感があるぐらい重い感じであれば、

仕事重視になりがちで、将来はパーキンソンになるかもしれないから、

人生の目的を自分軸にしないといけないと思う。

 

何かしらの楽しみは持ったほうがいい。

映画や動画鑑賞以外で、芸術制作やダンスなどで、

自己肯定感を高めて、絶望的観測を吹き飛ばしたほうがいい。

お年寄りになったときに、弱り切らない体づくりへの貯金でもある。

 

働かない選択をしてる人は弱らずに長生きできるが、

逃げ続けてる人は絶望的観測しかしない傾向で、

擁護され続けてる人は希望的観測の傾向で、

老後には楽しみを見つけて新鮮味を感じて、目を輝かせる。

 

私の仮説。

 

 

 

 

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