今ふと思ったこと

趣味の開拓や持続性が薄れた理由がなんとなくわかった。

 

動画配信などの趣味のネタバレ感も含むが、

本質は「緊張感」が薄いか無くなってるから。

 

SNSなどの自慢合戦のときは、

緊張感や一方的な対抗心で、持続性を高めれたが、

それから離れると緊張感や「自慢したい」欲求がわかず、

評価に飢え始めて、あれもこれも手を出しても長続きしない。

無欲化に陥る。

 

ある人は「感受性がなくなってるから」という説が強いというが、

「感受性」と「緊張感」が並走してるだけで、

どちらかが判別がつかなかったのだろうと思う。

 

対義語的に並走してるものは「鈍感」と「緩和」で、

趣味を持てないが好奇心はあるムードメーカーのようになる。

 

趣味や仕事がある内は、

「感受性」と「緊張」の繰り返しか、

どちらかしか使わない状態になるから、趣味の継続力がわかない。

好奇心は感受性と直結するので、

感受性が要因ではなく、緊張感の低下が引き金であるわけで、

「それをしてる自分」を想像できて、継続できないってなれば、

「緊張感がない」と言える。

緊張感がなければ飽きるからね。

 

感受性があるから、子どもを持つ家庭は子どもに飽きないで済む。

感受性を必要としない仕事や感受性を捨てさせようとする仕事は、

緊張感を家庭に持ち込むために、パートナーや子どもに暴力的になる。

 

お客の対応数が多い仕事、お客が見えない仕事ほど、

感受性を要しないため、

自分が誰なのかが分からなくなってしまい、

暴力や攻撃で、自分が自分であることを認識するために

荒療治の修正力がかかるのだと思う。

 

この世は、「体験」に飢えて・・、

経験値や場数を備えるのも大事だ。

 

しかし、「慣れ」や「ネタばれ」を見るような状況、

下積みのないまま這い上がる感じが、

「緊張感」を不安定にさせるのだと思う。

自己完結よりも先に、ネタバレ完結で満足してしまう。

 

場数を踏んで緊張感がなくなるか、

緊張感を得る勉強が足りないか。

どちらかになっているのだろ思う。

 

SNS時代、緊張感が衰えてるから、

多趣味で継続しない人が増えてるともいえる。

並行して、本当はできるはずだけど、

心のどこかで緊張感が持てなくて、

闘争心、対抗心も無意味と感じてしまうのだろう。

 

人は人を比較する癖は抜けない。

 

 

 

 

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