趣味の開拓や持続性が薄れた理由がなんとなくわかった。
動画配信などの趣味のネタバレ感も含むが、
本質は「緊張感」が薄いか無くなってるから。
SNSなどの自慢合戦のときは、
緊張感や一方的な対抗心で、持続性を高めれたが、
それから離れると緊張感や「自慢したい」欲求がわかず、
評価に飢え始めて、あれもこれも手を出しても長続きしない。
無欲化に陥る。
ある人は「感受性がなくなってるから」という説が強いというが、
「感受性」と「緊張感」が並走してるだけで、
どちらかが判別がつかなかったのだろうと思う。
対義語的に並走してるものは「鈍感」と「緩和」で、
趣味を持てないが好奇心はあるムードメーカーのようになる。
趣味や仕事がある内は、
「感受性」と「緊張」の繰り返しか、
どちらかしか使わない状態になるから、趣味の継続力がわかない。
好奇心は感受性と直結するので、
感受性が要因ではなく、緊張感の低下が引き金であるわけで、
「それをしてる自分」を想像できて、継続できないってなれば、
「緊張感がない」と言える。
緊張感がなければ飽きるからね。
感受性があるから、子どもを持つ家庭は子どもに飽きないで済む。
感受性を必要としない仕事や感受性を捨てさせようとする仕事は、
緊張感を家庭に持ち込むために、パートナーや子どもに暴力的になる。
お客の対応数が多い仕事、お客が見えない仕事ほど、
感受性を要しないため、
自分が誰なのかが分からなくなってしまい、
暴力や攻撃で、自分が自分であることを認識するために
荒療治の修正力がかかるのだと思う。
◆
この世は、「体験」に飢えて・・、
経験値や場数を備えるのも大事だ。
しかし、「慣れ」や「ネタばれ」を見るような状況、
下積みのないまま這い上がる感じが、
「緊張感」を不安定にさせるのだと思う。
自己完結よりも先に、ネタバレ完結で満足してしまう。
場数を踏んで緊張感がなくなるか、
緊張感を得る勉強が足りないか。
どちらかになっているのだろ思う。
SNS時代、緊張感が衰えてるから、
多趣味で継続しない人が増えてるともいえる。
並行して、本当はできるはずだけど、
心のどこかで緊張感が持てなくて、
闘争心、対抗心も無意味と感じてしまうのだろう。
人は人を比較する癖は抜けない。
