閲覧、いいね ありがとう愛してる。
来月8月4日は、私の歌姫の命日か・・。
縁もゆかりもなく、ただ好きなアニメで知って、知ったころにはもう居なくて、
面識ももちろんなくて、ただただ歌が好きの状態で止まってる。
お墓の場所を知ったところで、面識のない人間が手を合わせても・・
ってなるし・・困るだろうし・・。
生きてる人であれば、Adoさんで・・推し変しそうな勢いで、歌い方が好き。
だけど、もうこの世にはいないけど、あの人が一番いい。
Adoさんのような人がいるということは、
どこかでマイナーながら、人気になってる人がいるはずなのよね。
その人が、どこかで誰かの生涯の歌姫になるのだろう。
好きなアニメの・・あのオーケストラコンサートには行けないけれど・・・。
歌姫のCDを聴いておくか・・。
Adoさんの歌ばかり聴いてたり、発想の渋滞であまり聴けなかったから、
ちゃんとまた聴いてあげよう・・。
CDが傷んでないかの確認もしながら・・。
エアコンのない部屋での管理だから・・ちょっと怖い。
●
人気アーティストやシンガーソングライターは、人気であれば色あせないけど、
マイナーでも本当に心に残るような「揺らぎがある歌声」と「歌詞」は、
人気は関係はないのよね。
ただ、見つけてもらう場所が悪かっただけ・・。
昔の音楽業界も「相対評価」の色が強かったために、
アニメやドラマの本数がないような時代では、人気になれる人が限られていたが、
今では「市場評価」の色が強くて、かつ、アニメやドラマの数が数多あるために、
そのやり方次第では人気になれる。
テレビの歌番組では、ほぼ同じような歌しか流れないのは、
「相対評価」の時代をわかってほしい「抗い」にしか見えなくて、
過去の栄光にしがみついてるようで、変に必死だよねって思う・・。
「相対評価」という基盤があるからこそ、日本人好みの歌の基盤ができたのも
事実かもしれない。
あまり音楽には詳しくはないがそう見える。
何度か書いてるけれど、「人気」は独占的だったらそうなるよねって話で、
今のようにサーフィンしないと見つけれないような歌に人が寄り付いてるなら、
それは「人気」だと思う。
売り込み・宣伝・広告なしで、実力だけでっていうのは、評価できる「人気」。
悪乗り・悪ふざけはなしで、純粋に聴いてほしいと願った歌だけ。
人が寄り付くようにレールができてしまえば、「人気」という概念から外れて、
「船頭」に近いものを感じる。
歌番組は「船頭多くして山登る」の意味違いの状態。
統率感がないから、観る気が起きない。
作業BGMのほうが、まだマシ。
●
カラオケ・・まだ行けてないなぁ。
自慢できる人間がいないから、「歌」をうたう感情の努力義務が発動しない。
ほかの趣味もそうだものなぁ。
自慢する相手がいないから、燃え上がるような情熱的努力義務がわかない。
「結局、何したいの?」ってぐらいのブレブレの人生進行。
数秘術「3」だと楽しめる相手がいないと・・そうなってくる。
昔やってたSNSの「自慢合戦」が懐かしく思えるぐらい。
20代はそういうパワーがあるのだなぁ・・。
パワーの方向性が良ければ、人類の発展に大きく貢献出来たろうに・・。