以前にも書いた覚えはあるが・・。
人に対して
「人が変わった」、「昔のほうがよかった」など
よくある発言パターンだけれど・・、
相手ではなく、認知して発言してるほうが、
精神的に変化を遂げてるから、そう感じるだけ。
「自分から変わる」、「自分は変わらなくていい」
この2つは、目指してるのは同じこと。
結局、何も変化が起きないからね。
「努力」、「服装」、「言葉遣い」、「善行」
(「行動」か「容姿」の変化)
このどれかを丁寧にこなし始めると、
その人を「見続けてる人」は、変化して
「すっかり変わったね・・」と言い始めるが、
断片的にその人を見てる人にとっては、
「全然変わってない、遊び(余裕)が増えただけ」で
面白い人になってると感じる。
「変化の印象」は、本人ではなく、
見てる側の認知、親密度、精神状態で変化するものだ。
本人は何も変化はしていない。
例えば
普段「おふざけをしてる人」が、一度「大人っぽさが出た」と印象付けば、
「この人は、もう、おふざけはしない」と思い込みを持った見てる側は・・
今までのおふざけが、またぶり返した時、蛙化現象のように冷め始める。
どれほどの親密性があるか、友人程度なのか、
仲間ぐらいなのか、親よりも体感時間が長く感じるほどなのか。
断片的に見るのは、赤の他人という認知からくるから、
変化を感じない。
◆
「友達」という概念があやふやになってきてるのも、
「結婚願望者」が減るのも、
その距離感がわからなくて、
それが生じてる感情がどれなのかがわからないから、
「知人」未満で止まる。
●
「DVの件数」と「テクノロジーの高度化」は同時に進んでいるね。
会社と社会から煽られ続けてる環境下で育った悪影響だろう。
身の程を知らない「安売りに群がる輩」が遠回しにそういう人を育ててる。
そういう人が能天気に「怖いね、怖いね」と言い始めると、
「こいつら・・なんだ」ってなってくるから、
あまり能天気なフリはしないほうがいい。
経済と生産とテクノロジーが、綺麗な三角で動いてないからこうなる。
社会全体から突き詰めれば、この流れになるのもわからなくもない。
それを見ない人が「怖い、怖い」と言うのだろう・・。
一般会社員程度であれば、
ただただ、安く売ってくれる販売業しか見ていないよね。
販売業が壁になりすぎてるからね。
生産量と苦労を把握できていない部分が大きすぎる。
争いが止まないもの当然。
そういう表面しか認知していない人が、能天気に振舞うから、
裏方で働いてる人とか製造業の人は、
その社会の部分を心のどこかで恨み続けてる。
遺伝子に刻まれて後生から発生する可能性もある。
◆
なくはない話だろうから、あえて例えるなら
無差別殺人を犯した人の家系を辿って、
先祖の一人が、社会から都合のいいように扱われ、見放されすぎて、
屈辱的に暴力を振るわれていたから、その恨みを持った遺伝子が
「先祖返りとなって現実に現れた」ってそういうことではないかなぁ。
生理的に受け付けない状況が遺伝子レベルで刻まれているので、
家系の精神力次第で、本人の精神力は関係なく、
受け付けない状況になるとスイッチが入るのかなと思う。
◆
いつかの後生の世代から、階級的意味で立場が逆転する家系は増えそう。
