最近の学びは

 

以前にも書いた覚えはあるが・・。

 

人に対して

「人が変わった」、「昔のほうがよかった」など

よくある発言パターンだけれど・・、

相手ではなく、認知して発言してるほうが、

精神的に変化を遂げてるから、そう感じるだけ。

 

「自分から変わる」、「自分は変わらなくていい」

この2つは、目指してるのは同じこと。

結局、何も変化が起きないからね。

 

「努力」、「服装」、「言葉遣い」、「善行」

(「行動」か「容姿」の変化)

このどれかを丁寧にこなし始めると、

その人を「見続けてる人」は、変化して

「すっかり変わったね・・」と言い始めるが、

断片的にその人を見てる人にとっては、

「全然変わってない、遊び(余裕)が増えただけ」で

面白い人になってると感じる。

 

「変化の印象」は、本人ではなく、

見てる側の認知、親密度、精神状態で変化するものだ。

本人は何も変化はしていない。

 

例えば

普段「おふざけをしてる人」が、一度「大人っぽさが出た」と印象付けば、

「この人は、もう、おふざけはしない」と思い込みを持った見てる側は・・

今までのおふざけが、またぶり返した時、蛙化現象のように冷め始める。

 

どれほどの親密性があるか、友人程度なのか、

仲間ぐらいなのか、親よりも体感時間が長く感じるほどなのか。

断片的に見るのは、赤の他人という認知からくるから、

変化を感じない。

 

「友達」という概念があやふやになってきてるのも、

「結婚願望者」が減るのも、

その距離感がわからなくて、

それが生じてる感情がどれなのかがわからないから、

「知人」未満で止まる。

 

 

「DVの件数」と「テクノロジーの高度化」は同時に進んでいるね。

会社と社会から煽られ続けてる環境下で育った悪影響だろう。

 

身の程を知らない「安売りに群がる輩」が遠回しにそういう人を育ててる。

そういう人が能天気に「怖いね、怖いね」と言い始めると、

「こいつら・・なんだ」ってなってくるから、

あまり能天気なフリはしないほうがいい。

 

経済と生産とテクノロジーが、綺麗な三角で動いてないからこうなる。

社会全体から突き詰めれば、この流れになるのもわからなくもない。

それを見ない人が「怖い、怖い」と言うのだろう・・。

 

一般会社員程度であれば、

ただただ、安く売ってくれる販売業しか見ていないよね。

販売業が壁になりすぎてるからね。

生産量と苦労を把握できていない部分が大きすぎる。

 

争いが止まないもの当然。

そういう表面しか認知していない人が、能天気に振舞うから、

裏方で働いてる人とか製造業の人は、

その社会の部分を心のどこかで恨み続けてる。

遺伝子に刻まれて後生から発生する可能性もある。

 

なくはない話だろうから、あえて例えるなら

無差別殺人を犯した人の家系を辿って、

先祖の一人が、社会から都合のいいように扱われ、見放されすぎて、

屈辱的に暴力を振るわれていたから、その恨みを持った遺伝子が

「先祖返りとなって現実に現れた」ってそういうことではないかなぁ。

 

生理的に受け付けない状況が遺伝子レベルで刻まれているので、

家系の精神力次第で、本人の精神力は関係なく、

受け付けない状況になるとスイッチが入るのかなと思う。

 

いつかの後生の世代から、階級的意味で立場が逆転する家系は増えそう。

 

 

 

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