シクラメン

 

遠慮というより、観察や在り方かな・・

 

さっきの記事で気づいたことは、

「依存よりの不平不満」は、

「自分から見た他人との関係の在り方」が

理想的ではないことが分かる。

それは支配という意味ではなくて、

画餅なだけで、方向性を変えるだけで、

理想になる・・。

 

壁がないと思って、

ガラスにぶつかる猫みたいなものだ。

 

その画餅がなくなれば、

人は控えなくなって幸せになれるのだろう。

シクラメンの花言葉にもあるような

「気後れ」をあえて起こすことで、

幸せのエピソード記憶を歩もうとする。

 

しかし

遠慮のし過ぎでそれができずに老後を迎えて、

諦めてしまうことにもなりかねない。

体力はともかく、

老眼になるとできないことが増えるから・・。

 

視力のあるうちに、細かい作業に慣れておいて、

老後に入っても感覚的に動けるようになれれば理想。

 

私の場合。

他人との在り方の理想は、

「飲みの席で、賑やかな横でゆっくり飲み食いできるような関係」

かもしれない。

お酒は飲めないが・・。

都会に行けばいくらでも・・それができるだろうけど、

人が多いのがあまり好きではない上に、

そもそも都会が好きではない。

 

自分の組織を作っていないという不満もあるから、

それと重ねれば、理想値は起業家に至るか。

そこからの他人との在り方、未練が解消されるか。