遠慮というより、観察や在り方かな・・
さっきの記事で気づいたことは、
「依存よりの不平不満」は、
「自分から見た他人との関係の在り方」が
理想的ではないことが分かる。
それは支配という意味ではなくて、
画餅なだけで、方向性を変えるだけで、
理想になる・・。
壁がないと思って、
ガラスにぶつかる猫みたいなものだ。
その画餅がなくなれば、
人は控えなくなって幸せになれるのだろう。
シクラメンの花言葉にもあるような
「気後れ」をあえて起こすことで、
幸せのエピソード記憶を歩もうとする。
しかし
遠慮のし過ぎでそれができずに老後を迎えて、
諦めてしまうことにもなりかねない。
体力はともかく、
老眼になるとできないことが増えるから・・。
視力のあるうちに、細かい作業に慣れておいて、
老後に入っても感覚的に動けるようになれれば理想。
◆
私の場合。
他人との在り方の理想は、
「飲みの席で、賑やかな横でゆっくり飲み食いできるような関係」
かもしれない。
お酒は飲めないが・・。
都会に行けばいくらでも・・それができるだろうけど、
人が多いのがあまり好きではない上に、
そもそも都会が好きではない。
自分の組織を作っていないという不満もあるから、
それと重ねれば、理想値は起業家に至るか。
そこからの他人との在り方、未練が解消されるか。
