時間がもったいなかったこと

 

生きる活動以外で、娯楽に連日6時間以上も費やしたとき。

(動画やゲームが中心、人生で調味料にしかならないことに、

自分の人生を振り回されること。)

 

自分がしなくてもいいことに、連日3時間以上も費やしたとき。

(特に、大量生産系の製造業で作り手をしてるとき、

「値段」や「廃棄頻度」次第では、時間を返せってなる。)

 

昼寝をしすぎて自分時間がなくなったとき。

(休みほど乱れた生活になりがち。)

 

ネット活動を1日あたりで5時間続けたとき。

(自分時間が無くなる焦りがわくが、

「もっと・・もっと・・」ってなって依存的に心酔する。)

 

感情を思い出すためだけに存在する動画をのめり込んで、

それで見すぎて疲れ果てるとき。

(元も子もない。)

 

周りに少しでも流されて、何かせねばと焦るとき。

(貯金ができない現象でもあり・・、

流行の現象は自分で確かめて、回避する免疫が必要になる。)

 

 

こうして人は、自分の生き方に自分で翻弄される。

 

 

仏教的活動になるか、

デジタル活動になるか。

 

それ次第で人生が変わってくるか。

 

ちゃんと「人間」として、人との交流をするか、

メビウスの輪のように時間と仕事を繰り返す人工無脳でありたいか。

 

その二面性で苦しみを覚える。

いつか、そういう時期は来ると思うね。

 

今の経済の考え方も怖いけれど、

今のテクノロジーも同じぐらい怖い。

スッと時間を奪われることが多い。

気が付くと後悔でしかない場合がある。

生きてる実感がなくなる。

 

 

大量生産だろうと、少量生産だろうと・・

結局、人の時間を費やしてるのだから、

食品以外は安易に捨ててはいけないと思う。

 

作り手の時間を分け与えて、生み出されたものだのだから、

数分数時間の出来事でも、生み出されたものは使い込むこと・・。

「つかう責任」。

時間が大事という証明は、古いものを大事にしてることに等しい。

「時間が大事」といいつつ、ケガをしない程度のすり減りで、

すぐ新しいものと交換することは、「命が大事」ということ。

 

使い古す人は、時は金なり、貯金は大事と捉える。

すぐ買い替える人は、時は命なり、体は資本と捉える。

両方の性質をもつと、

結局「時=命=金」になるので「時給制」に翻弄され、

貯金ができなくて保険ばかりに入って、自分の身を亡ぼす。

どっちらかに偏らないと時間の無駄のように思える。

 

「つくる責任」は、

製造業の経営者が全面的に受け止めないといけないと思う。

それができなければ、中流危機も同じ。

作り手の時間を守りながら、作り上げたものに責任を持つこと。

安売り産業が増えすぎて、作り手を守れない経営者が増えてるからね。

 

 

 

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