軽く「自由」の解釈など
自らの拠り所があって、初めて「自由」がある。
模索や寄り道が多いのは、「自由」ではない。
拠り所 = 由
模索が多く、自ら迷い制限されてると感じるのは、
「自由」ではなく、「自画」なのだ。
「画」は、
拠り所に天井をつけて、過保護になって離れないように、
足元を囲って、自らを描こうとする。
演出、ナルシストの類。
無法地帯が、自由ではない。
自由は、無趣味・無特技で
自己欺瞞にならず、演じない自分であることが、
本当の「自由」だと感じる。
初めて、人前に出て喋ることに、
少しドキドキするアレが、「自由」という概念に近いが、
「自らの拠り所」ではなくなる。
それは単なる第一印象。
自らの「無知」を認めることは、
「自由」ではないと感じる。
しかし、法に基づいた流れでは、
「自由」は得られない。
「法」そのものが、「自画」に導いてる。
世の中は「自由主義」ではなく、
「自画主義」をずっと語っているだけ。
ここの・・
「自画」の意味合い的には、ナルシストに近い。
天井と足元を固めてるため、
「自分」が中心になって、「好きなこと」しかしない。
それは拠り所ではなく、因り心。
「手放すこと」は、自由に近く、
コインの裏のようなもの。
拠り所は、所有欲は必ず3つは伴うので、
すべてを捨てるわけにはいかない。
「人間」、「衣食住」、「命」。
しかし、「衣食住」を伴う時点で、
「自由」とも言い切れない。
住む場所を追われるようなら怒るもの無理はない。
拠り所なのだから。
まぁ、最低限、生物として生きていることが、
「自由」なのかもしれない。
