1つに特化できる人は大体、プロ。

 

私のような複数のことを抱えたがる者にとっては、

面白い存在ではあるわけで・・。

 

 

別題

 

「あおり運転」の本質・体質

 

単刀直入に

「退屈」と「人のことを考えすぎる」

このどちらかに尽きると思う。

 

「退屈」は、「空腹」と同じで、

空きっ腹になるとキレ始める人に似ている部分もあり、

毎日の同じ流れがとても腹立たしく、

流れを止めたい欲求に至る。

 

刺激のある人生を送っているか、

刺激がなくなってきた人生になり始めてるか、

刺激を求めることを我慢し続けた人生か。

「退屈」の中の性質。

 

「人のことを考える」というのは、

「自他ともに含めた「人」であり、欲求を考えすぎること」。

「独り善がり」なのではなく、全体を考えている。

全体を考えたとき、誰かが抗わないと、とても恐怖を感じる。

インフラが「AI化」し始めてることに、とても腹が立つ。

 

アナログな自動車であれば、

その車の欠点を周知しあえて「助け合いたい」けれど、

AIのおかげで、どこまでがその車の欠点なのか、

他人との距離感がわからない「怖さ」があり、

「助け合えない」という「退屈」で

もどかしさも感じ始める。

 

優しすぎる部分が潜在的にある。

優しすぎるというのは、

同じ流れがあるというのは苦しいこと。

 

親分肌、姉貴分肌、兄貴分肌などそういう類の人柄で

「下っ端生活」や「やさしさ利用されてる」という感覚が、

ストレスになることもあり得る

 

物事がその時その事が固定された歴史で、

人は自分の鏡ならば

煽ってるほうも、煽られてるほうも

潜在的に流れに抗いたい人と言うことになる。

 

 

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