良い意味での「依存」としては、薄々感じてる。

疲れてヘトヘトでも、毎日モーニングコールをしてくれる。

感謝しかない。

しかし、本人には言えない。

恥ずかしいのもあるが、同調圧力で傷つけてきた人でもあるから。

複雑な感情なのよ・・。

 

会話にはならない。

話はそらされるし、シカトされるから、

感謝を伝えても無理だろうなぁ・・。

 

昔から私は挨拶をしない性格だけど、

挨拶をしないと、なんか手遅れになりそうな気がしてくる・・。

不安感というより、嫌な予感が蓄積してきてる。

「無意識の勘」というやつで、気持ちがざわついてる。

けれども、挨拶はしない・・。

 

今の疲労感と、今の仕事を続けてる状況で、

なにか生命的な意味で、不幸せな出来事が起きたとき、

私の生きる方向性が狂って、道を踏み外しそうだなぁ・・。

仲間はいないから、踏ん張れるかどうか・・。

 

挨拶、睡眠、毎日3食が、人にとって幸せなのだろうと薄々感じた。

声による対話はなくても、最小限の幸せなのだろう。

 

単調な毎日を無理やり送らされてる中では、

きっと老いて

「レクリエーション」をすると新鮮味に感じるか、

煩わしく感じるかのどちらかだろうね。

「老後の楽しみ」ということはそういうことなのだろう。

 

今、ゲームやユーチューブなどで楽しみすぎたら、

あとは何を楽しむのか、わからなくなるからね。

やったことある自慢とか口軽に言い始めたら、

介護職の人次第では、面倒な人と思うだろう。

 

しかも、五体五感が健全であれば、

楽しみは常に活きるよね。

今のうちに、

視力や聴力を大事にしておかないといけないと思うから、

ゲームやユーチューブなどは控えておいたほうがよさそうだ。

思考力の停滞にもつながるから、SNSもないほうがいいな。

 

「人間」を学べる場所は、

「武道」のほかに、航空会社や観光業、旅館・ホテル業かなぁ。

そういう接客関連は、対話をすることが幸せなんだなと感じる。

 

 

日常の中で感じる些細な幸せ

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