閲覧、いいね ありがとう愛してる。
音と埃が立たない程度の運動はした。
ちょっとはマシになった。
血の巡りが悪かったようだ。
やはり、骨盤周りの運動はいいね。
骨盤を安定させないと、全体が安定しない感じがわかりやすく出る。
運動してる間に鼻歌を歌っていたが・・。
「魔女宅」と「カントリーロード」の音楽があやふやな記憶で混ざり合うとなぜか、
「ロッキー」の音楽に代わっていく・・。
そんなファイティングな運動をしたいつもりはないのだけど・・。
なぜ、鼻歌が歪んでくるのだ・・。
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「幸せはシワ寄せ」 自然環境、経済などの「社会の現実」
「不幸を認める」 「個人の現実」
「不幸」と「シワ寄せ」は別物。
「不幸」は、能力や才能、生きる最小限のことの現実を見ないこと。
「シワ寄せ」は、自分が犯した出来事が、誰かが苦労してると現実を認めないこと。
「認めること」は、「嫉妬」の裏返し。
どこまで自分自身のことを受容できるかが「不幸を認める」か「他人の幸福を嫉妬する」の
どちらかに代わってくる。
「自信」は、人であることの「最初の信念」らしい。
その信念はパッシブでついて回るので、次元を上げないでおくと、ずっと弱いまま。
よく喋るのは、あまりいいとも言えない。
鳥は、自由というイメージの反面、噂を広める。
(遠回しに、「ツイッター」のことを言ってるわけではなく、哲学的な意味。)
◆
私の場合、「工場が大嫌い」、「人の下につくことが嫌い」という
個人的には最大級の不幸なので・・・、それを認めたとき、「幸せ」になれるのだろうか。
多くのタロットで占ったが、「仕事は、続けたほうがいい」と出やすかった。
瞬間的な判断力が身について行ってるのは確かではある。
それで、「フェンシング」を覚えたら・・、良いところまで行けそうな勢いではありそう・・。
しかし、スポーツという概念が嫌いなので、それも不幸扱いだとすれば、
それも受容すればさらに高めれる・・。
◆
結果的に言えば、「真の根性論」の本質は、「不幸を認めること」から始まるのだと思う。
自分にとって不快なことであればあるほど、力を出せて幸せに近づく。
「偽の根性論」は、「何事も力業」、「何事も強引に」が本質だろうね。
自分に合ったことであればあるほど、手早く済ませる。
しかし、幸せになるのはいいが、誰かが必ず頑張ってることも当然のようにあるので、
それを認めなければ「シワ寄せ」は多くなり、社会全体が不幸を認めなくなる。
不幸を認めなければ惰性になり、努力値も上がらない、誰かを振り回す社会。
◆
「いじめ問題」を「真の根性論」から当てはめれば、
「いじめる側」が、自分の不幸を認めていない証であり、
親から受けたことをそっくりそのまま「いじめ」に使ってる場合も多く、
アニメや漫画の影響も強く出るのは当然のように存在する。
「いじめられてる側」が、「不幸」の伝搬受けて、訳も分からない暴力などに悩まされる。
いじめられてる側は、不幸ではない部分を不幸扱いを受けてるので、
その認める部分がない中なので、外部からすれば苦しむ内容がわからないのも当然。
「いじめ」は、いつの時代も陰湿。
他人に自分の不幸をかぶせたいという思いの暴力だからね。
「試し行為」の延長や、思春期と反抗期のダブルアタック、テリトリー精神、家庭環境、
親の職業(権力の有無)、家庭の金銭状況など・・。
たとえば・・。
権力者の子どもが偉そうにふるまう場合があるが、それは親のブランディングの維持が
逆に子どもを不幸にしてるため、偉そうにふるまい「いじめ」を起こす。
いじめ問題が一向に解決しないのは、いじめっ子の中に権力者の親がいるから、
いくらでも渋って遅延行為ができる。
ドラマでよくあるようなことはザラに起きてるからね。
ニュースになってる限りは白紙にはできないけど、もみ消しはいくらでも手段はある。
私の時もそうだったからなぁ・・。
議員の息子がねぇ・・あんなもの反論したら町に住めなくされそうだもの・・。
引越ししたてで、敵の人数を考えてみろって話よ・・。
50人以上だぞ・・そんなもの町ぐるみで、情報戦も負けるぞ。
それをわかってるから、親にも言ってないもんなぁ・・・。
今言っても譫言にしかならないしなぁ・・。
今みたいに、いじめっ子を情報で潰せない時代だからねぇ。
不幸を認める反動が、前進する力になるってのが根性論。
強いて言えば、耐え抜いたといえるけれど、私は「いじめられている」という
不幸を認めて、いて座なので、さらに精神は図太くなってる。
(工場の繰り返し作業でそれも弱り始めてる。)
◆
いじめられてる側は、平和に学業をしたいだけ、不幸は微塵もない。
いじめる側は、ちょっかいの延長で、構ってくれないからエスカレートして、
趣味の格闘技や漫画、親から受けてきたことを暴力の手札にして繰り出すため、
いじめの内容は、いつの時代も同じようなものになってるのは当たり前のこと。
「親から受けてきた」ことが5割、「趣味」が4割、「その他の感情・自主」で1割。
いじめの内容と家庭の事情を踏まえて仕訳けていけば、その配分に近くなると思うよ。
いじめられてる側は、人のせいにしないタイプが多いと思うので、
いじめている側は、構って欲しいから人のせいにしたがるので、
基本的に自主的に考えた「いじめ」の手段は使わない。
親、もしくはテクノロジー、漫画などを利用して、子どもらしい責任逃れをしようとする。
結局、誰かのせいにしたいのは、いじめてる側なのよね。
最初のちょっかいだけが、自主的に編み出したもので、そのあとは別の誰かの影響。