閲覧、いいね ありがとう愛してる。

 

音と埃が立たない程度の運動はした。

 

ちょっとはマシになった。

血の巡りが悪かったようだ。

やはり、骨盤周りの運動はいいね。

骨盤を安定させないと、全体が安定しない感じがわかりやすく出る。

 

運動してる間に鼻歌を歌っていたが・・。

 

「魔女宅」と「カントリーロード」の音楽があやふやな記憶で混ざり合うとなぜか、

「ロッキー」の音楽に代わっていく・・。

 

そんなファイティングな運動をしたいつもりはないのだけど・・。

なぜ、鼻歌が歪んでくるのだ・・。

 

 

「幸せはシワ寄せ」 自然環境、経済などの「社会の現実」

 

「不幸を認める」 「個人の現実」

 

「不幸」と「シワ寄せ」は別物。

 

「不幸」は、能力や才能、生きる最小限のことの現実を見ないこと。

「シワ寄せ」は、自分が犯した出来事が、誰かが苦労してると現実を認めないこと。

 

「認めること」は、「嫉妬」の裏返し。

どこまで自分自身のことを受容できるかが「不幸を認める」か「他人の幸福を嫉妬する」の

どちらかに代わってくる。

 

「自信」は、人であることの「最初の信念」らしい。

その信念はパッシブでついて回るので、次元を上げないでおくと、ずっと弱いまま。

 

よく喋るのは、あまりいいとも言えない。

 

鳥は、自由というイメージの反面、噂を広める。

(遠回しに、「ツイッター」のことを言ってるわけではなく、哲学的な意味。)

 

私の場合、「工場が大嫌い」、「人の下につくことが嫌い」という

個人的には最大級の不幸なので・・・、それを認めたとき、「幸せ」になれるのだろうか。

多くのタロットで占ったが、「仕事は、続けたほうがいい」と出やすかった。

瞬間的な判断力が身について行ってるのは確かではある。

それで、「フェンシング」を覚えたら・・、良いところまで行けそうな勢いではありそう・・。

しかし、スポーツという概念が嫌いなので、それも不幸扱いだとすれば、

それも受容すればさらに高めれる・・。

 

結果的に言えば、「真の根性論」の本質は、「不幸を認めること」から始まるのだと思う。

自分にとって不快なことであればあるほど、力を出せて幸せに近づく。

 

「偽の根性論」は、「何事も力業」、「何事も強引に」が本質だろうね。

自分に合ったことであればあるほど、手早く済ませる。

 

しかし、幸せになるのはいいが、誰かが必ず頑張ってることも当然のようにあるので、

それを認めなければ「シワ寄せ」は多くなり、社会全体が不幸を認めなくなる。

不幸を認めなければ惰性になり、努力値も上がらない、誰かを振り回す社会。

 

「いじめ問題」を「真の根性論」から当てはめれば、

「いじめる側」が、自分の不幸を認めていない証であり、

親から受けたことをそっくりそのまま「いじめ」に使ってる場合も多く、

アニメや漫画の影響も強く出るのは当然のように存在する。

「いじめられてる側」が、「不幸」の伝搬受けて、訳も分からない暴力などに悩まされる。

いじめられてる側は、不幸ではない部分を不幸扱いを受けてるので、

その認める部分がない中なので、外部からすれば苦しむ内容がわからないのも当然。

 

「いじめ」は、いつの時代も陰湿。

他人に自分の不幸をかぶせたいという思いの暴力だからね。

「試し行為」の延長や、思春期と反抗期のダブルアタック、テリトリー精神、家庭環境、

親の職業(権力の有無)、家庭の金銭状況など・・。

 

たとえば・・。

権力者の子どもが偉そうにふるまう場合があるが、それは親のブランディングの維持が

逆に子どもを不幸にしてるため、偉そうにふるまい「いじめ」を起こす。

 

いじめ問題が一向に解決しないのは、いじめっ子の中に権力者の親がいるから、

いくらでも渋って遅延行為ができる。

ドラマでよくあるようなことはザラに起きてるからね。

ニュースになってる限りは白紙にはできないけど、もみ消しはいくらでも手段はある。

 

私の時もそうだったからなぁ・・。

議員の息子がねぇ・・あんなもの反論したら町に住めなくされそうだもの・・。

引越ししたてで、敵の人数を考えてみろって話よ・・。

50人以上だぞ・・そんなもの町ぐるみで、情報戦も負けるぞ。

それをわかってるから、親にも言ってないもんなぁ・・・。

今言っても譫言にしかならないしなぁ・・。

今みたいに、いじめっ子を情報で潰せない時代だからねぇ。

 

不幸を認める反動が、前進する力になるってのが根性論。

強いて言えば、耐え抜いたといえるけれど、私は「いじめられている」という

不幸を認めて、いて座なので、さらに精神は図太くなってる。

(工場の繰り返し作業でそれも弱り始めてる。)

 

いじめられてる側は、平和に学業をしたいだけ、不幸は微塵もない。

 

いじめる側は、ちょっかいの延長で、構ってくれないからエスカレートして、

趣味の格闘技や漫画、親から受けてきたことを暴力の手札にして繰り出すため、

いじめの内容は、いつの時代も同じようなものになってるのは当たり前のこと。

 

「親から受けてきた」ことが5割、「趣味」が4割、「その他の感情・自主」で1割。

 

いじめの内容と家庭の事情を踏まえて仕訳けていけば、その配分に近くなると思うよ。

いじめられてる側は、人のせいにしないタイプが多いと思うので、

いじめている側は、構って欲しいから人のせいにしたがるので、

基本的に自主的に考えた「いじめ」の手段は使わない。

親、もしくはテクノロジー、漫画などを利用して、子どもらしい責任逃れをしようとする。

結局、誰かのせいにしたいのは、いじめてる側なのよね。

最初のちょっかいだけが、自主的に編み出したもので、そのあとは別の誰かの影響。