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NHKが、淡々と長編アニメ・漫画の考察をしてる動画を脳内で作って遊んでる。
「時論公論」の雰囲気で、アニメ・漫画の考察。
「まどか☆マギカ」や「ワンピース」など。
真面目に淡々を喋ってる姿が浮かんでる。
ちゃんと根拠や元ネタを証明してる。
NHKらしく、全部20分間動画で、1秒の誤差もなく・・。
それなりに笑える。
芸術の批評に近いものがあるから、制作側と考察側の相性が良いと感じる。
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今日は、5号まで書いたなぁ。
物を書く熱量が走り過ぎてるようだ。
(実質、7回投稿だけれども・・。)
しかし・・。
時々、手遊びをしないとパソコンでキーボード打っていても、抜毛症が出やすい。
ガッツリ、髪を切ったら、右側頭部の毛量が極端になくなってそう・・。
手を暇にさせないようにしないと・・。
◆
ここ最近、動画見すぎて、世代別の昔遊びの記憶が薄れてきてるなぁ・・。
「遊びのジェネレーションロス」か・・。
寂寥感や喪失感とも違う何か・・もったいない・・何か。
◆
昔
昔遊びを受け継ぐ、ワクワクする話術で遊びを教えてもらう (置きっぱなしではない)
→ 教えてもらった手順で興奮して自慢することで次につながる
→ 自然体の横のつながりができる (土地から土地へと繋がり、伝搬する、輪になる)
今
これが昔遊びです(動画やサイト) (置きっぱなし)
→ 観る機会がない、観る人が少ない興奮もしない、次に繋がらない。
(置きっぱなしなので、誰も自慢したいと思わない、観ればいいだけだからね。)
→ 不自然な横のつながりができる (土地違いの繋がり、異形の伝搬、輪にならない)
◆
動画ではないが、アニメも新旧ひたすら放送されたり話題に残るから、
それも「ジェネレーションロス」が起きて、「自分の世代だけの物」という、
「人生の付加価値」がなくなって、寂しくもあり、嬉しくもあり、哀しくもある。
前に前にという「言ったもの勝ち」みたいな時代だから、自慢屋になれない状況下で、
寂しくなっているのだろうかなぁ。
それで、昔遊びや好きだったアニメを脳内から、自然に手放して行ってるのだろうか。
見飽きたこととも違う。
虚無感、空虚感・・うーん。
◆
とにかく、動画は観過ぎだなぁ・・。
(観ても、コロッケさんと、狩野英孝さんと、あきらお兄さんぐらい。)
それにモノが流通しすぎて、自慢屋にもなれん。
物流も、情報も供給過多だわ・・。
供給過多にされると疲れるのよね。
どれだけ日本が、物に満ち溢れてるか・・。
「幸せ」は、物を買うことでも、売ることでも、発信することでもないという証明でもある。
本当に物質主義は終わったんだな・・と感じる。
「見栄」と「映え」の塊のSNS、あまり観たくはないが観たときは、ちょっと疲れるなぁ。
お知らせか、タメにならない情報だから。
◆
みんな向いてる方向に向きたくないのが私の性質。
仲間が居ないのは、当然、向きたくもない方向も、向かないといけないから絡めない。
ツッパってるわけではなくて、気味が悪いと感じる警戒心でしかない。
慎重ともいうけど・・。
このままの動き次第では、ワンマンにもなるか、生涯孤独にもなるかの人生。
自分でも思う、どこかしら人を信じてる部分はあるのだろうなぁ・・。
でなければ、ブログもメールも寄付もできないだろうからね。
◆
「ジェネレーションロス」が起きてしまうと、なにも自分の身以外の出来事を語れない。
こういう遊びが合ったよと言っても、調べてる人からすれば「知ってた」ってなるから、
それが何か寂しい。
花火のように大輪の時の記憶はあっても、他は同じだから記憶に残らないみたいな・・。
人生の付加価値において、自慢は大事だなと感じる。
自分の人生で体験した、珍しい事だけが付加価値になる。
探すものでもなく、自然な振る舞いで、自然に寄ってくるもの・・。
それしか、自分の存在を示す話ができなくなりつつある。
ないなぁ・・。
比較しすぎても仕方ないけど・・。
情報があり過ぎるのも、寂しい・・何か違うんだよなぁ・・。
情報もそうだけど、輪が大きくなりすぎて「昔遊び」って、付加価値は無くなったんだと感じる。
置きっぱなしの情報だから、レア感がない。