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NHKが、淡々と長編アニメ・漫画の考察をしてる動画を脳内で作って遊んでる。

 

「時論公論」の雰囲気で、アニメ・漫画の考察。

「まどか☆マギカ」や「ワンピース」など。

真面目に淡々を喋ってる姿が浮かんでる。

ちゃんと根拠や元ネタを証明してる。

NHKらしく、全部20分間動画で、1秒の誤差もなく・・。

 

それなりに笑える。

芸術の批評に近いものがあるから、制作側と考察側の相性が良いと感じる。

 

 

今日は、5号まで書いたなぁ。

物を書く熱量が走り過ぎてるようだ。

(実質、7回投稿だけれども・・。)

 

しかし・・。

時々、手遊びをしないとパソコンでキーボード打っていても、抜毛症が出やすい。

ガッツリ、髪を切ったら、右側頭部の毛量が極端になくなってそう・・。

手を暇にさせないようにしないと・・。

 

ここ最近、動画見すぎて、世代別の昔遊びの記憶が薄れてきてるなぁ・・。

「遊びのジェネレーションロス」か・・。

寂寥感や喪失感とも違う何か・・もったいない・・何か。

 

昔遊びを受け継ぐ、ワクワクする話術で遊びを教えてもらう (置きっぱなしではない)

→ 教えてもらった手順で興奮して自慢することで次につながる

→ 自然体の横のつながりができる (土地から土地へと繋がり、伝搬する、輪になる)

 

これが昔遊びです(動画やサイト) (置きっぱなし)

→ 観る機会がない、観る人が少ない興奮もしない、次に繋がらない。

(置きっぱなしなので、誰も自慢したいと思わない、観ればいいだけだからね。)

→ 不自然な横のつながりができる (土地違いの繋がり、異形の伝搬、輪にならない)

 

動画ではないが、アニメも新旧ひたすら放送されたり話題に残るから、

それも「ジェネレーションロス」が起きて、「自分の世代だけの物」という、

「人生の付加価値」がなくなって、寂しくもあり、嬉しくもあり、哀しくもある。

 

前に前にという「言ったもの勝ち」みたいな時代だから、自慢屋になれない状況下で、

寂しくなっているのだろうかなぁ。

それで、昔遊びや好きだったアニメを脳内から、自然に手放して行ってるのだろうか。

見飽きたこととも違う。

虚無感、空虚感・・うーん。

 

とにかく、動画は観過ぎだなぁ・・。

(観ても、コロッケさんと、狩野英孝さんと、あきらお兄さんぐらい。)

それにモノが流通しすぎて、自慢屋にもなれん。

物流も、情報も供給過多だわ・・。

供給過多にされると疲れるのよね。

 

どれだけ日本が、物に満ち溢れてるか・・。

「幸せ」は、物を買うことでも、売ることでも、発信することでもないという証明でもある。

本当に物質主義は終わったんだな・・と感じる。

 

「見栄」と「映え」の塊のSNS、あまり観たくはないが観たときは、ちょっと疲れるなぁ。

お知らせか、タメにならない情報だから。

 

みんな向いてる方向に向きたくないのが私の性質。

仲間が居ないのは、当然、向きたくもない方向も、向かないといけないから絡めない。

ツッパってるわけではなくて、気味が悪いと感じる警戒心でしかない。

慎重ともいうけど・・。

このままの動き次第では、ワンマンにもなるか、生涯孤独にもなるかの人生。

 

自分でも思う、どこかしら人を信じてる部分はあるのだろうなぁ・・。

でなければ、ブログもメールも寄付もできないだろうからね。

 

「ジェネレーションロス」が起きてしまうと、なにも自分の身以外の出来事を語れない。

こういう遊びが合ったよと言っても、調べてる人からすれば「知ってた」ってなるから、

それが何か寂しい。

花火のように大輪の時の記憶はあっても、他は同じだから記憶に残らないみたいな・・。

 

人生の付加価値において、自慢は大事だなと感じる。

自分の人生で体験した、珍しい事だけが付加価値になる。

探すものでもなく、自然な振る舞いで、自然に寄ってくるもの・・。

 

それしか、自分の存在を示す話ができなくなりつつある。

ないなぁ・・。

比較しすぎても仕方ないけど・・。

 

情報があり過ぎるのも、寂しい・・何か違うんだよなぁ・・。

情報もそうだけど、輪が大きくなりすぎて「昔遊び」って、付加価値は無くなったんだと感じる。

置きっぱなしの情報だから、レア感がない。