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最終回のロス感
近頃は、息を吹き返したような感覚で、寝てると突発的に目が覚める。
「ハッ」として、脳内でエンディングや登場人物の語りが流れる。
それが起きると、5分ほど寝れなくなる。
苦しいわけではないが・・人間関係をあまり持たないからこそ、
「哀愁」、「寂しさ」が突出して感じるのだろう。
内面の孤立・孤独に慣れ過ぎて、変な深いところまでは行かない。
表面上は、家族が、本当の大事なその部分を守っているのだろうと思う。
そこは感謝しよう。
仕打ちに関しては許されない。
河井英里さんの「バルカローレ」が脳内の流行曲なので流れる。
それで、今回の映画の挿入歌などと重なり、最終回のロス感が増し増しになった。
しかし、「ARIA」は、次回作が「最終章」なので、「姫屋」の声優が気合を入れるのも
無理はないと感じる。
今回の映画を超えないといけないので、力が入り過ぎて空回りしないように、
「ぬるく」は、やれないのだろうね。
◆
どの道、この最終回のロス感は、呼吸と脈が乱れる原因になるから、
医学的には、あまり連続してはいけないような気はするなぁ。
脱水したときに「動悸」が起きやすい私にとっては負担になるだろうし・・。
(高校時代か忘れたが、「心臓が少し小さい」と小さい病院で言われてたが、
再検査をしないと分からない。)
人間は鼓動の数で寿命が決まるなら、学生時代とバイトのときに、
かなり動悸を味わってるので、それなりに寿命は縮まってるはずなのよ・・。
今の仕事を続ければ、40歳台でポックリいくだろうね。
災害時は、今の(家と仕事の)ストレス状態だと死にたがると思うし・・
「生きたい」という強い意志がないから、生きてもこんな仕打ちしかない世の中なら・・。
◆
「ARIA」の次回作があるなら、せめてそこまでは・・。
だからと言って、無理に続けられても困るけど・・。
「ARIA」の考察で、宇宙の事から、生活水準、学校制度、テラフォーミングの事など
ありとあらゆることの「夢や希望」をこのブログに書いてこれたから。
「ゲゲゲの鬼太郎」のような感じにはなってほしくはないかなぁ。
原作者に、うま味はあっても・・。
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半自作「手回し鍵盤ハーモニカ」(もしくは、ストリートオルガン、手回しハルモニウムなど)
今日は何となく作業をした。
鍵盤ハーモニカの「空気室」を除いたフレームを取っ払った。
不要な部分は廃棄。
フレームを全部取ってしまうと、音が出なくなる。(リード部分を傷つけてしまう可能性も。)
プラモをしていたときの技術は使わないので、空気室は丸みを帯びたまま。
固定は、4カ所の穴を使う。
あまりプラは削りたくはないけどね・・。
熱線で切れば、簡単だったと思うけど・・手持になかった。
悩みどころは、「その曲だけ」であれば、手回しオルゴールと変わらないが、
ピアノロールをつければ、ストリートオルガンのようになってくれる・・。
構造的に前者だと蓋ができ、数点の部品を作らなくても良く
後者であれば、鍵盤ハーモニカの向き次第では、複数の部品が必要になる・・。
まぁ、予定通り後者の方が良いかなぁ。
それでも、鍵盤の押し方を空気圧か、カタカタ車かで、また構造が変わる・・。
まぁ、何となくやっていくか・・。
フイゴと鍵盤ハーモニカのサイズに合わせて、最小スペースになるようにね。
◆
この「鍵盤ハーモニカ」は、「ケースなし」の訳あり商品だったので、
やはり、ケースなしは良い、処分する面積がフレームの一部だけに留まった。
何度か書くけど、脱プラ社会を目指すなら、「ケースあり」が「訳あり商品」でないのか・・、
むしろ、オプションとして別途販売の方が良いのではないかと思う。
強いて言えば、
今の現状を「木に作り替える」ことで、大きなハーモニカにすることができて、
空気穴の大きさ、位置などを自分で作れることになり、さらに小型化を目指せるが、
今は、「形」を作ることが目的。
木に作り換えるのは、そのあとかなぁ。
けれども並行して作るか・・。
これだから、進まないのか。
