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最終回のロス感

近頃は、息を吹き返したような感覚で、寝てると突発的に目が覚める。

「ハッ」として、脳内でエンディングや登場人物の語りが流れる。

それが起きると、5分ほど寝れなくなる。

苦しいわけではないが・・人間関係をあまり持たないからこそ、

「哀愁」、「寂しさ」が突出して感じるのだろう。

内面の孤立・孤独に慣れ過ぎて、変な深いところまでは行かない。

表面上は、家族が、本当の大事なその部分を守っているのだろうと思う。

そこは感謝しよう。

仕打ちに関しては許されない。

 

河井英里さんの「バルカローレ」が脳内の流行曲なので流れる。

それで、今回の映画の挿入歌などと重なり、最終回のロス感が増し増しになった。

しかし、「ARIA」は、次回作が「最終章」なので、「姫屋」の声優が気合を入れるのも

無理はないと感じる。

今回の映画を超えないといけないので、力が入り過ぎて空回りしないように、

「ぬるく」は、やれないのだろうね。

 

どの道、この最終回のロス感は、呼吸と脈が乱れる原因になるから、

医学的には、あまり連続してはいけないような気はするなぁ。

脱水したときに「動悸」が起きやすい私にとっては負担になるだろうし・・。

 

(高校時代か忘れたが、「心臓が少し小さい」と小さい病院で言われてたが、

再検査をしないと分からない。)

 

人間は鼓動の数で寿命が決まるなら、学生時代とバイトのときに、

かなり動悸を味わってるので、それなりに寿命は縮まってるはずなのよ・・。

今の仕事を続ければ、40歳台でポックリいくだろうね。

災害時は、今の(家と仕事の)ストレス状態だと死にたがると思うし・・

「生きたい」という強い意志がないから、生きてもこんな仕打ちしかない世の中なら・・。

 

「ARIA」の次回作があるなら、せめてそこまでは・・。

だからと言って、無理に続けられても困るけど・・。

「ARIA」の考察で、宇宙の事から、生活水準、学校制度、テラフォーミングの事など

ありとあらゆることの「夢や希望」をこのブログに書いてこれたから。

 

「ゲゲゲの鬼太郎」のような感じにはなってほしくはないかなぁ。

原作者に、うま味はあっても・・。

 

 

半自作「手回し鍵盤ハーモニカ」(もしくは、ストリートオルガン、手回しハルモニウムなど)

今日は何となく作業をした。

 

鍵盤ハーモニカの「空気室」を除いたフレームを取っ払った。

不要な部分は廃棄。

フレームを全部取ってしまうと、音が出なくなる。(リード部分を傷つけてしまう可能性も。)

プラモをしていたときの技術は使わないので、空気室は丸みを帯びたまま。

固定は、4カ所の穴を使う。

 

 

あまりプラは削りたくはないけどね・・。

熱線で切れば、簡単だったと思うけど・・手持になかった。

 

悩みどころは、「その曲だけ」であれば、手回しオルゴールと変わらないが、

ピアノロールをつければ、ストリートオルガンのようになってくれる・・。

 

構造的に前者だと蓋ができ、数点の部品を作らなくても良く

後者であれば、鍵盤ハーモニカの向き次第では、複数の部品が必要になる・・。

まぁ、予定通り後者の方が良いかなぁ。

それでも、鍵盤の押し方を空気圧か、カタカタ車かで、また構造が変わる・・。

 

まぁ、何となくやっていくか・・。

フイゴと鍵盤ハーモニカのサイズに合わせて、最小スペースになるようにね。

 

この「鍵盤ハーモニカ」は、「ケースなし」の訳あり商品だったので、

やはり、ケースなしは良い、処分する面積がフレームの一部だけに留まった。

何度か書くけど、脱プラ社会を目指すなら、「ケースあり」が「訳あり商品」でないのか・・、

むしろ、オプションとして別途販売の方が良いのではないかと思う。

 

強いて言えば、

今の現状を「木に作り替える」ことで、大きなハーモニカにすることができて、

空気穴の大きさ、位置などを自分で作れることになり、さらに小型化を目指せるが、

今は、「形」を作ることが目的。

木に作り換えるのは、そのあとかなぁ。

 

けれども並行して作るか・・。

これだから、進まないのか。