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生まれ場でもない地元の神社の歴史を少し調べた。
奈良の天河神社とのつながりも、しっかりある。
クラウドファンディングで支援したのは自然を大事に思う気持ちとして見届けるためで、
神社とのつながりはあまり深くは知らなかった。
朝日テレビの「美しい地球を未来へ~京都伝統文化継承者たち~」という番組に
影響されてはいないが・・。
神さんと神さんの分祀先が、人の「ご縁」を繋ぐネットワークのようなものを感じる。
それをさらに「ご縁」の隙間をカバーしてるのが能楽の「謡曲」で、
昔の人が全国を巡った証でもあり、和歌もその一つで、昔から続く、日本が誇れる
「ご縁」だと思う。
縁もゆかりもないわけではない、土地の歴史や神社の分祀を調べることで・・・
実は別の「土地」と「ご縁」がある場合も割とある。
さすが、地元の事を知らな地元、地元の事は別の土地の人が知る。
歴史そのものは、食べ物にはならないが、縁を知れば食い物に変わる。
あとは伝え方、伝承、口伝の問題。
舞台で動くものより、「謡曲のみ」を聴く方が私にはあってるように感じた・・。
「謡曲」と「能楽」の関係は、私の解釈では、ラジオ時代がテレビ時代になったような
感覚ではあると思う。
画期的な文化が能楽で、「世阿弥」という人が作り上げたものは、それぐらい偉業。
謡曲や和歌は、聖地巡りの広告にもなり得た。
(今の歴史愛好家がやってることと同じような感じ。)
能楽は舞台なので、前向上などの機会に、その歴史を語ってから始まってるだろうし・・。
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今はダウンロード時代なので、テレビへのこだわりがあまりなくなってきてる人も増えてるが、
固定客はいるわけで・・、能楽も固定客はいる。
ラジオや謡曲も同様に、固定客は存在する。
時代の波に乗らずに、慣れ親しんだ媒体で娯楽を楽しむ文化はいつの時代も変わらない。
能楽もインターネットも、最初は知りうる人しか知らない「技」であり「芸」だった。
しかし、時を重ねて、庶民に分かりやすく伝えられてきたため、娯楽と化した。
昭和の映像で、街頭テレビに群がる人の映像のようなぐらい物珍しいことでもあった。
庶民は、春夏秋冬の「秋」を抱える立場なので、いつか「飽きは来る」ということ。
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お経や漢詩の歌い方に近いものを感じるが・・、
「謡曲」を河井英里さんが歌っていたら、面白い感じになりそう・・でも・・叶わない。
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この時間(18時)になっても、朝の鳥が鳴いてるのは珍しい。
何かの予兆か。
26~27日に何か起きるか。
もしくは明日・・。