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「大量生産」と「大量分散販売」を図式化
これまた水道局をイメージした形状にした。
第一次産業のタンクは小さく、働き手の範囲内の仕事量
第二次産業のタンクは本来は形がない、働き手の数以上の仕事量
第一次産業と第二次産業の間のみ 「バケツリレー」の状態で、他のルートは配送者あり。
設備投資がなければ、疲労困憊をする仕事。
青天井のタンクに、ひたすらバケツで水を注ぎ続けてるのが、大量生産。
その水圧で、販売に分散をして、消費差でさらに分散する。
苦労を知るのは、大量生産だけで、他の立場の人は温暖化などの加害認識はない。
第二次産業の最低ラインの水量が不明だが、作り手を食べさせる分などを
補完しないといけないので、常に仕事がある。
「頑張ってるから仕事を増やそう」とか言う矛盾行動が作り手を苦しめる。
消費者は結局、生産者でもあるので、ひどい扱いを受ければ受けるほど、
生産能力は落ちる。
言い方を柔らかくすれば、安物買いの銭失いで、廻りに廻って苦しくなってる。
大量分散販売は、作る側が苦労をし、世の中が幸せにはなれない。
地理・天候で言うならば、
第一次産業は、雨
第二次産業は、池、湖
第三次産業は、上水道、河
消費者が、蛇口
間違った「陽明学」の解釈で、「蛇口から水を出すように無尽蔵に大量に作ること」が、
今はダメだと感じる。
それは間違った「良知」。
ドラマツルギーの社会学からすれば、無尽蔵に大量に「作る」という事は、
「人」を尊厳を無視し、無碍にし、裏舞台まで追い込み、真実を観ないことにしようとしてる。
だから、「良知」ではない。
