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アラビアンダンス・・。

感情が引っ張られたなぁ・・。

素直になって・・。

 

んー。

 

 

●世の中に「正の期待」をしてみる。

ヨーロッパでは、コロナ感染の初期段階では・・

在宅オペラをしていたようだけど・・。

 

日本の場合、アレができると思うなぁ・・。

チンドン屋。

チンドン屋の人の適度な距離感と、広い道と、接近しないお客という前提であれば、

練り歩けそうなものだけど・・。

その上、歩いてる間は、自分の所持している物以外は、触らないことで接触率を下げ、

建物寄りに歩かず、車道寄りを歩くことで、換気の排気を直接的に吸う面積を減らす。

楽器の音を響かせて迷惑でなければ、やってもいいレベルではないかと思うが・・

3車線以上の道幅が必要になるけれどね・・。

 

事故るか・・。

 

 

コロナの終息計画を立てれば立てるほど、古い自由と縦社会の断末魔のようにも

思えることばかり・・。

縦社会で行動制御されて出歩く人が多いなら、縦社会をぶっ潰す必要があるし、

ネットのセキュリティを維持するのに、出歩かないといけないなら、ネットを潰す必要があるし、

お金の問題が出るのなら、お金の概念をぶっ潰す必要があるし、

祭事は、人が多いものは必然的に失われていくのかもしれない。

そうしていくことで、「縦社会」は舞台から降りることになり、

自由という意味では、祭事がイベント扱いとしてはなくなり、昔ながらの祭事に戻る。

 

特定の協賛者、信仰者のみの祭事が中心になり、観客は観たい人だけ見て、

ほぼ最初から居ないのが祭事であるため、紹介制か何かで見物が可能など・・。

コロナ前のような自由参加でも良いのだけどね・・そのほうが祭りの維持に繋がるから。

その市町村の納税者のみ「祭り」に立ち入れるような感覚も面白いか。

強制ではなく、暗黙の了解のような部分だから、強くは言えないが弱くも対応はしない。

 

 

ワクチンを打つ前に、社会問題の改善の宣誓と、地球にしてきたことへの反省と改善を

考えていかないと、コロナ以上のウィルスが蔓延しやすくなるできごとが増える。

同じ繰り返しになれば、次の次はない、テクノロジーを維持する人が感染する可能性を

踏まえれば、そのワクチンはできにくくなるが、人口と学の強い国に頭を下げることになる。

今回のコロナではないが、人口、学力、技術力、製造力のよるワクチン戦争がいつか起きる。

コロナが終わっても、ウィルスとの戦いは終わらないし、ワクチン戦争も終わらなくなる。

(「負の期待」にいつの間にかなった。)

 

 

●「ブレーメンの音楽隊」。

あらすじをネットで探して読んだだけだが・・。

「わがままで、図々しい正義」と捉えるか。

「1つの場所を目指していたが、寄り道した場所が自分に合ってる」という「教訓」と捉えるか。

 

前者は、関西のおばちゃんや、男臭さがあり、妬ましいイメージの言葉ではある。

後者は、前向きな言葉だが、別の言葉もある。

「ARIA」(火星のやつ)の中でのセリフ

アリシア 「旅人は不幸にも道を見失った。力なくうつむいて途方に暮れる旅人。

でも、再び顔を上げた彼の眼前に広がっていたものは、かつて旅人が求めていた以上の

すばらしい世界だった。」

 

しかし、ブレーメンのあらすじに負けるセリフではあるね。

乗っ取りや、泥棒が泥棒に入られるという皮肉のような話でもあり、

後先考えない者同士の侵略物語のような話。

 

 

音楽隊のような歩き方で、砂漠や砂浜、高反発マットレス、ベッドなどの上を8時間も、

ずっと歩くだけで、私の(工場の持ち場の)仕事の一部の負荷を少しだけ再現できる。

マーチングの高校で言えば、京都府橘高校の行進時の歩き方が近い。

 

条件として、高反発マットレスの上であれば、マットが潰れるぐらい常に強く踏みしめること。

厚みは10cm~15cm。

低反発の場合は、その3倍の厚みで強く踏みしめる。

(骨を折られても私は責任は取らないけど・・。)

それぐらいのことは毎日(平日)は仕事でしてるよってことで・・。

 

 

他の作業では、肉体労働のイメージは、一般的な動作練習をしてるラグビーに近いし、

パルクールなどの応用につかそうな動作ばかり揃ってる。

運動競技の練習メニューに近いものがゴロゴロ眠ってる、半手動半自動の工場。

増改築を繰り返してるだけあって、パルクール向きでもある(2度目)。

 

けれど、暗い仕事なので、面白いとも思えない。