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表舞台のマイナス面がつくづく目に余る。

 

・有名人の名言を愛着

・否定

・傲慢

・喋り過ぎ

・自他ともに精神疾患扱い

・自他ともにハラスメント扱い

・学力差における他者への過小評価

・知能自慢

・筋力自慢

・幸せ自慢

・疑似的な分類学自慢

・疑似的な心理学自慢

・テクノロジー自慢

・科学重視

 

「顔なしの三漫」とも言える。

他者との距離感が分からなくなるから、他者のことを理解に至らない、

そして、「三漫」をすることで、自己を保ってるかのように見せかける。

それ故に、感染系災害では「足を引っ張ること」になる。

 

自己を保ってるかのように見せかけて、自己の行動認識は他者に及ばない、

そう感じてるあまりに、「見せかけの活気」を欲する。

 

コロナのニュースを観て、インタビューを受けてる人の多くの街頭者が、

「見せかけの活気」を残したいと思ってるように見える。

「ある域のテクノロジー」は、私は嫌いだが、テクノロジーを駆使すれば、

そんな「見せかけの活気」など無意味に等しい。

 

中途半端に活気を戻そうとして、感染を広めているのは果たして誰か

「地の時代」を残しているからこうなるのだ。

 

大量問題、地図帳の生産量の競争、経済格差、学力格差・・それらすべて

「三漫」で生み出された意味のない地球破壊。

 

太陽フレアなど恐れるに足りない、「三漫」がなければテクノロジーを使うこともない。

普段から手仕事をしていれば問題はない。

 

物価が下がったのであれば、世界に「生産物の分与」をしていくべきだろう。

作ったものに価値など無いものが多い。

ならば、「三漫」にならず、「分与」をして幸福感を得ればよい。

極限まで分与をして、必要生産量が見えてくる。

それが、あらゆる問題の解決するカギなのだ。

 

「経済の在り方」、「お金の在り方」、「人道の在り方」、「分与の在り方」。

新たな時代に不要な「顔なしの三漫」をし続ける必要はあるのか。

「見せかけの自己」、「見せかけの活気」では、次の時代には生きづらさを感じるだろう。

 

安易に語る「手放す」と言うのは、「顔なし」、「三漫」を「辞める」ことを言うのだ。

何も「断捨離だけ」ではない。

それ故に、「内省」が出来ないのだよ。