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私は礼儀作法を知らないが、まぁ何となくでやってはいるが・・。

やはりダメか。

 

コロナ禍の感染対策を観ていて、ふと思った。

礼儀作法の中にも感染対策が組み込まれているのではないかと・・。

 

「青空レストラン」を観て思った。

 

【乾杯】は、グラスを突き合わせる人と、グラスを突き合わせない人。

本当は両方が正しいのではないかと思った。

 

過去のパンデミックの対策で、不十分な伝達でそれが起きたと考える。

グラスの耐久もあると思うが、私がいつも書いてる「別世界感」や「認識差」で、

マナーがあやふやになってるものが多いのではないか。

 

昔は伝達方法や、医師の意思疎通、文献の入手などが確立されていなかった、

あるいは、興味がないと医師は、その症状への関心がなかった。

そのために、過去のパンデミックの「教訓」が確立されなかった。

現世では、医師の興味とは別に感染対策は、基本事項となってるので、

知識を高めるためだけで、教訓ではない。

 

私の仮説だが、マナーの中にもそういう対策が組み込まれているから、

地域差、国の違いなどで言い分が違ってくる。

マナーが異なる真理は、言い伝えや、口伝による対策。

もちろん、「状況の表現」の芸術手段でもあるから、見苦しさの回避もあるだろう。

 

言語、興味、伝達、物欲、多動が、感染対策の教訓のポイントではありそうだ。

 

 

現在の「ソーシャルディスタンス」や「手指消毒」など、

する必要がないと感じた職場は、基本的に「グラスを突き合わせる乾杯」の認識の人。

することが必要だと感じた職場は、基本的に「グラスを突き合わせない乾杯」の認識の人。

将来、そういうことに差が生まれて、争いが起きる。

特に海外は、NPO、NGOによる「指導」で小さな国がそういう認識下にある。

どこかの金の服の人が「手を洗わないと友達ではない」ということが

凄く予言的で、現実になる戦争に発展しかねない。

むしろ、その言葉の解釈で、争いが起き始めてるようなものだ。

その「手指洗い」の歌によって、マスク着用にも神経質になって、着けていない他人に

威張り散らす出来事が日本で当たり前になりつつある。

 

全体主義や同調圧力の文化が裏目に出つつある。

 

マスク着用に神経質になった人を観てると「何言ってんの?目を覚ますのはあなたでしょ」

と思うのですよ。

それほどまでに、怯え、パニックになった人にしか見えない。

地球が滅亡する勢いで吠えている人が居るがね・・。

初期の「中国」と同じ状況で、ドローンでの監視が起きそうで逆に怖いのですよ。

反吐が出るぐらい腹立たしい。

 

 

日本の礼儀作法は、ボケ防止と老化を見せないための対策が中心。

「ふすまのアレを踏むな」とか、「おにぎりは歯形が出ないように食べろ」など。