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4時前、急で強烈な「性自認」が起きた。
それと同時に、「着物」や「銅鏡」の念や記憶なのだろうか。
「助けてほしいわけではないが、着てほしい」と言う思いや、
「綺麗に着こなしてほしい」と言う思いが伝わってきた。
それに
見慣れない和室、「40万円」の小切手、白い猫、それを撫でる女性が見えた。
着物を一式揃えるのに、苦労しない富裕層が安易に買い取りに出すから、
付喪神が悲しんでるのだろう。
色々な職人の手を経て、それに見合った金額で、提供される着物なのだ。
体の主導権を取られそうになりそうだったなぁ。
まぁ、取られても別に、罪や暴言さえ気を付けてくれたらと言うものではあるが・・。
自粛が明けない人は、着物を着るなり、日本の文化を再認識していくべきなのだよ・・。
保守から逃げてはいけない文化。
自分で、「これだ」と思って選んだ、「お高い着物」を安易に他人に買い取ってもらうことが、
「物」にとってどれほど悲しい事か。
厳格に作られたものには、ちゃんと厳格な念がある。
安易に買い取りに出されれば、失望を起こす念も出てくる。
長持ちしなくなる。
今の医学と同じだなぁ。
西洋医学重視で、東洋医学を蔑ろにされやすい。
洋服重視で、和服を蔑ろにする・・。
面倒な方を観なくなる。
6月6日の昼に「銅鏡」を軽く磨いた「お礼」のようなものなのだろうか。
念視のような、過去視のようなものは、よくあることだ。
久々で、驚いただけ。
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昨日の「志村どうぶつ園」の回想兼現状の特集の中で、
「カモの引っ越し」を観た。
それを観て思った。
「アルプスの少女ハイジ」や、「母を訪ねて三千里」系列の話。
それの並行世界の話のストーリーが、かなり豊富に浮かんだ。
あの様相も、ある種の「シュレーディンガーの猫」の理論に組み込むべきなのかもね。
10匹いて、その中での場所や死因など様々な複数のパターンができる。
その中でも、固定されたパターンも多い。