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休みだから、かなり投稿する。

話す人が居ないから「書く」しか、今の外界との繋がる手段がない。

まるで、死の3ヶ月前のように、最近は、発想やら色々殴り書きしてるが・・。

 

人を見る機会は、自室以外でテレビ、家、工場(通勤の道)ぐらい。

外界とのやり取りは、ネットニュース、家、工場、ブログ、メールぐらい。

 

「人間」と言う感じがしない、新型肺炎は「別世界」だと言ってるが、

外界の情報自体、別世界感が高まってきてる。

客観よりも、さらに上の俯瞰してるというか・・生きてるけど違う。

 

ネット上での仲間もいないし、現実での仲間もいない。

家族への感情ですら、別世界感。

あとは身辺整理したら、死ぬのではないだろうかと思うほど、人との関わりがない。

しかも、自分の夢への関心や、目標への関心が沸いてこない。

とにかく何か、他人の発想の治すところに目が行く・・。

他人の争いや、競争に虚しさも感じる。

変な正義感でもない。

 

 

いくつかの占いで私を占って、8月20日~25日に転機が来るとあるが、

その予兆も、予測もない。

 

 

2015年に、「ある人」からの仕事の誘いがなければ、恐らく、家から追い出されて

自害をしていただろう・・それぐらい深刻なほど自立・独立を果たしたいと思っていた。

ある意味、その人は命の恩人ではあるが、社会的には逃げ道になってしまった。

私の人生の中では、まだ「使命」があるから、そういう運命をつけたのだろうと思う。

同年の断捨離は、死ぬ勢いで最小限の私物に留めたこともある。

 

 

今の自分はタロットで言うところの「塔」や「死」のカードなのではないかと思う。

今までの自分の鎧が剥がれているところか・・。

やはり魂は脱皮するのか・・、それが転生して、通り過ぎる誰かや、教え子として巡り来る。

 

 

この別世界感は、本当の意味の「孤独」と言うやつかなぁ・・。

夢が白紙だから、ないのよねぇ・・。

「ARIA」という媒体を通しての発想はいくつかは出しているが、

火星の開拓は夢ではあるけど、「私の夢」ではないからね。

「慈愛」の世界観も好きだからね。

 

 

弱気ではないが、人間とのワイワイガヤガヤ感が2015年から、一切、感受しなくなってる。

あるゲーミングチームに誘われた時があったが、その時は「ゲーム」への空虚感があった。

(2018年~2019年)

「真面目な性格」に変化してるのだろうと思うのだがねぇ・・。

「SNS型の見栄」を観るのも、聴くのも疲れた。

 

 

「工場」と言う、奴隷チックで単調な作業が、大きく性格を変える事象を生んだのだろう。

そこから自分の人生に「謳歌」してる感覚がなくなってるからね。

 

 

けれど、「ARIA」の青円盤を公式に入手したことによって、「慈愛」の感受をもらった感じ。

人によっては、きらきら乙女感のある物語かもしれないが、私は「慈愛」にしか見えなかった。

そこから、寄付や慈善に手を出し始めていたら、「慈悲」にも似た感受が芽生えた。

 

自分の夢は白紙で感受できるものが、「慈愛」しか今はないのだろう・・。

夢は個人で叶えなければ、実は「叶いにくい」次元ですからね。