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駆け込み消費や、反動消費から来る製造の負担。
農業ではないが、農業と同じ労力にした時どうなるか。
平常時
テレビで見るような綺麗な工場で、色々機械を導入しているような工場のイメージ
「1ヘクタールの土地をトラクターを使って、農耕をするようなもの」
(忙しくはない状況ではあろう。)
一方、機械の導入が難しい工場などや、私の持ち場は、
「1ヘクタールを農具なしの素手で、農耕しているようなものだ。」
(これでもバテる。)
消耗品が入れ替わるような時期
テレビで見るような綺麗な工場で、色々機械を導入しているような工場のイメージ
「10ヘクタールの土地をトラクターを使って、農耕をするようなもの」
(少し忙しい状況ではあろう。)
一方、機械の導入が難しい工場などや、私の持ち場は、
「10ヘクタールを農具なしの素手で、農耕しているようなものだ。」
(「なんだこれ、これだけ作る必要あるのか?」と思う。)
増税前、駆け込み、反動時期
テレビで見るような綺麗な工場で、色々機械を導入しているような工場のイメージ
「100ヘクタールの土地をトラクターを使って、農耕をするようなもの」
(忙しい状況ではあろう。)
一方、機械の導入が難しい工場などや、私の持ち場は、
「100ヘクタールを農具なしの素手で、農耕しているようなものだ。」
(「あぁん?、ゴミが!」と思う。)
それほどまでに、私は体を使っているのだ。
前任者が、いかに体を壊して辞めていったかもわかる。
私より若い人が辞めていくのも分かる。
単調なだけではない。
この面積は、販売店舗や売れ行き次第で変動。
なお、後者の私の持ち場は、面積イメージがいくら変わろうと、給料は、5分単価の時給制で
リボリングされ続けるという・・不条理。
さらには、セール品になりやすく、売れるときには売れるが、常時と言うわけでもないし、
売れにくい品物を作っているので、ある種レジ係をしてる人以上の波はある。
品物自体は、昭和初期から言えば、数点買って「何銭」という時代からなので、
平成になっても少ししか、値段の変化がないため、必要以上に数を作らないといけない。
環境無視で作らないといけない場合もある。
なぜ、仕事を放棄しないのか、辞めないのか・・
何度も書いているように、「持ち場意識の強い」工場なので、誰も手を貸さない状況であり、
割り当てられた持ち場しかしない人の方が圧倒的に多い。
「辞めたら、誰もしなくなるのではないだろうか」という切迫感からくる、義務感や使命感を
無理やり引き出されていると言う感じですかねぇ。
つまり、歯車の一部のような消耗品扱いのような感じです。
だから、工場は「道徳」が必要。
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環境的スピリチュアルから言えば、
大量発生した生物や植物は、大抵、薬か何かに使える。
次回に起きうる事象に大抵使える。
大量にある人工物は、大抵、次回の事象で使えたりする。
いま、倉庫業で、売れない服の保管があるでしょ・・。
今更にはなるが、それを使えばいくらでもマスクは作れるのよね・・。
新規で作らなくても。
新規で作ったということは、倉庫で眠る「売れない服」は、まだ出番ではないということ。