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そろそろ見直した方が良い、この世の「不健全」で、「不確実」なシステム。
それは、お金のシステムの中でも、「会社経営」、「雇用形態」、「給与制のすべて」、
「広告収入」である。
まずは「会社経営」は、経営者が指揮を執り、会社を動かしていくことだが、
社会貢献であることには違いはないが、現時点で、その存在する意味を持たない。
環境を考え、世間体を気にして、法律を気にして、お金の計算さえできれば、誰でもできる。
「経営者(取締、CEO、社長など)」というのは、概念だけとなり、肩書でもない。
その箱の中で、奮闘したところで働き手は、純粋に、その組織が好きという事ではない。
「これで社会に立つ」と言うのは、夢に過ぎない。
その夢に、他人を巻き込むなよ・・賛同者が居れば別だ。
夢は個人(賛同者も含む)で叶えるものが多い、目標は他人と叶えるものが多い。
組織に属してるからと言っても、強制的に同調しているわけでもないから。
「経営」というのは、考えを180度変えるか、失うべきものかもしれない。
日本の場合は、多くの人は第二志望以降の就職先なので、「仕方なく」就いてるだけなので、
結果として、「その組織であることが好かない」という事になる。
次に「雇用形態」は、正社員だろうと、アルバイトだろうと作業量の酷使をすれば、
みんな同じとなり、隙間時間などの意味もない。
環境を考えながら、段取りを取れるのであれば、雇用形態は「働き手」1つで十分だが、
「予備・非常時資格」としての雇用概念を、それぞれが持つことで、
特殊な技術を要しない仕事の応援に駆け付けれるようになる。
現在の会社に属する状況下では、それは会社を退職しない限り、不可能に近い。
災害時や、今昔のウィルス蔓延時などに、動ける人が留まってばかりも、少々考えようだ。
CSRを少し改良したものが、「予備・非常時資格」と言うイメージでも構わない。
職人レベル、特殊技能や特許物の仕事以外であれば、大抵のことを多くできる。
そのあたりは、アルバイトも正社員も変わらない。
ほとんどの仕事は、人命を預からない限り、責任のレベルは低い。
「雇用形態」は、不確実で意味がない。
その次に「給与制のすべて」は、経営者や役職付きの人たちだけが左手団扇となり、
「働き手」は、給料が「リボリング」されたままで、一向に先の見えない状況である。
会社指定の「時間単価」で働いているのに、世間の「給与制(時間給)」で固定されてしまうと、
「不服」と言うより、最初から「フラストレーション」で、その比は同じではない。
当たり前に観ている「時給」だが、当たり前すぎて比較して探すが社会のシステムとして
成り立ってしまっているために疑問に思わない。
真実値ではない給与制は、確実に世の中の「不健全」なシステムではある。
血反吐を吐いてまで携わったものが、「安く」、「早く捨てられ」、「安い給料」、「病持ち」という
四拍子が揃えば、給与制の意味の無さが分かる。
そこで、社会が支え合うというのは少しズレた考えな気はする。
不健全なシステムを長生きさせているだけとなる。
かつ、大量生産による収入は、環境破壊の募金であり、環境破壊への口止め料であり、
非常時以外は、作り続ける意味はない。
最後「広告収入」は、不労者を増やす原因であり、「健全で、正確な広告機能」として、
成り立ってはいない。
この世の「人手不足」を加速させている原因の一つでもある。
個人の芸術技能を見せ合うだけなら、投げ銭だけで十分であり、広告は、その三の次。
実力収益ではなく、被暗示性収益である。
広告収入をもらう側は、実力者でもない、被暗示をかけるための被暗示者に過ぎない。
実力収益は「クチコミ」が主体。
掲載したものは、紙面、バナー、動画などは被暗示性が加わっており、
純粋な「好きな物に飛びつく」という事にはならないので、「実力」ではない。
小さな会社と平等化すれば、広告は、世の中に不要となる。
ブランド意識が薄れている中で、社名で買うことは「あまりない」と思われ、
その会社である必要がない、広告があろうとなかろうと、「商品の質」さえよければ、
ファン(愛好)でもない限り、それを「買う」だけなので、広告の意味はない。
政治のことも・・とやかく言いたいが・・。
一生涯、永劫釣り合う事もない「お金」のシステムは、変わっていった方が良いことには確か。
(「稼げる人は、稼げる」というは、「当たり前を疑え」の一つだよ。)
人工知能ロボットに人権を与えた際には、確実に見直さないといけない事でもある。