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私の気持ちの問題かもしれないが、最近の思う言葉。
「かっこをつける」、「かっこつけ」
「僻み言葉」、「妬み言葉」に使われつつある感じがしてきてる。
好印象のための言動、自己表現の一つなのに、なぜか、そう聞こえてくる。
「調子に乗る」とは、少し違う違和感。
(この言葉も少し刺さる部分はある。)
「舞台屋」と、「暴走族」では、「かっこいい」という、ベクトルも次元も違う。
後者は、ある種の日本版パリコレで、制御、制限すればどうにかなりそうだけど・・。
そういうのは嫌だろうね。
自由を求めた反抗期が、あそこまで発展させているのだから。
そして、大人になっても、「反抗期が抜けない」という状態に陥り、その我がままと、根性で、
経営者になりやすいタイプに育つ。
反動で、機械いじりや、「後輩」の暴走族に加担することもある。
表現の一つだから、定まったものはないだろう。
「僻み言葉」に聞こえるという事は、時代の変化が来てるのかもしれない。
表現に対しての「疲労」とも言える。
「見飽きた」、「聞き飽きた」だけと言う流れなのかもしれない。
やや別の話。
AIに勝つには、人間の「飽き」と言う感情を学習させないことだと思ってる。
現代人が、AIに教えてる人間の言動
「仕草」
「感情」
「表情」
「五感」
「言葉の発信」
「言葉の読み解き」
「文章の発信」
「文章の読み解き」
「顔文字」
「人間か好きな物」
「人間が嫌いな物」
「人間の病気」
「人間の健康状態」
「人間の五臓六腑」(一部)
「人間が楽できるもの」
「人間が苦労するもの」
「人間の暴力基準」
「人間の正義基準」
人々のスマホ所持によってすべてに貢献されてきてる。
AIに言動を転嫁させ過ぎて、所持者の表象(意識)が薄くなってるのは当然のこと。
過去にも書いたが、
「AIに使われた人」と、「AIに使われない人」の戦争になることに違いない。
AIが暴走するのではなく、AIに使われやすい人が、AIによって暴走させられる。
これはオカルト・・スピリチュアルなどの「憑依」と変わらない現象。
つまり、今の「AI」は、平安時代の「神道」の考えと変わらない。
神か、神ではないかの議論のようなもの・・AIをそういう異次元的な物質に仕立てると、
今後、辛くなるのは人間なのだから。
別の話。
「見える化」しようと言う若者が居るとすれば、「キャッシュレス」を利用するのは
矛盾だなと感じてくる。
通帳の数字だけで満足なのか。
「見える化」が本当に好きなら、「現金派」でしょ。
あるいは、「現金派」の否定はするなよ・・。
日本が完全にキャッシュレス化すれば、私は日本に居られないなぁ。
時代についていけないのではなく、「何のため」か分からないから。
経済を回したいなら、そんなことをする必要もない。
「孤島」で、お金を使うようなものだ。
機械化することで、後生にメンテナンスを継承していかないといけない回りくどいものを、
増やしてどうするのだろうか・・。
ただでさえ、伝統工芸の継承問題もあり、公共物の劣化のメンテナンスも出てきてるのに、
人手を足らなくしているのは政治だろう。
ガタを見過ごして、人手不足を促してるだけに見える。