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気になることが出てきた。

「挨拶」できる・できないの文言を言う人

「感謝」や「謝る」ことができる・できないのを文言で言う人。

 

「お互い様論」からすれば、どっちでもいいと思う。

 

ただ、文言で言い過ぎれば、モラハラのグレーゾーンだと思う。

活字は冷たく感じるし、何より突き放されてる感覚もある。

 

私はどっちでもいいと感じてるが、昔からの疑念ではある。

当たり前のようにやり過ぎて、当たり前を疑えなくなる場面でもあるから。

 

工場で「やや人格」も壊され、言語中枢が働きにくい上に、失読気味になるときもあるし、

時間に追われ、慌ただしい作業、大量生産は間違いなく「社会からのパワハラ」であり、

大量の加工書を1人でさせる工場からは「モラハラ」を受けてるようなものだ。

 

さらには、挨拶を強要された日には、キャパがなくて易怒性が増す。

余裕がないので。

言語発信が、工場勤務のし過ぎで、まず難しい。

言語発信しない日は、仕事の消化率は落ちない。

言語発信する日は、仕事の消化率が落ちる。

つまり、大量生産系の工場は、人がやるモノではない仕事である。

無徳有形。

テレビで見るような綺麗な工場ではない工場では、消費者、人の陰の部分(私欲)を

垣間見ることができるわ。

闇とは少し違う。

 

 

別の話。

以前から、輪廻は、2世代以前の人の「性格」や、「していたこと」がウンタラと言ってたが、

あれって、「先祖返り」のことだったんだな・・・。

勉強になった。

つまり、「後悔」も「夢」も、性質上は遺伝するという事か。

子を作れない運命を持つ人は、別の人に転生するという事かな。

 

私は、母方の祖父より前の人が、坊さんだったようなので、

「長い文章で説こう」とするのは、「先祖返り」だという証拠だと思う。

私の本名の名づけは、神社なので、「仏教」と「神道」から生み出された人生のようなものだ。

運命的に試練や過酷なことが多いことも、「星座」の影響もあり、それらの影響もある。

 

あと、キリストと、イスラムが何らかの形で入れば、基本要素の宗教が人生に組み込まれる。

「慈愛」の概念は、キリストだから若干入ってるのか。

冒頭の「挨拶」は、「施し」の一種なので、イスラムも入ることになる。

 

「方言とタメ口」の混ざった言語を、敬語に治すことができれば、人生は明るいのかな・・。