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大量生産系の工場で居る私にとっては、そんなものは存在しないと思う。

本当にあるなら、「大量問題」自体起きない上に、通販も平成初期のように、

新聞の片隅の広告程度で終わるはず。

 

「大量問題(消費・発注・注文・廃棄など)」自体、戦争や紛争の一種です。

今日の出来事で言いきってあげよう。

人を劣化させるだけのモノづくり。

巡りに巡って他の人も劣化する。

 

元々の持ち場が2人分の作業で、今日は3人分の作業をして、

手が付けれない状況で、作業差分をすれば「ボタンを押すだけ」の持ち場の人に、

とやかく言われたよ・・、たった10mでも5mでも、動かない持ち場の人。

率先力もない上司・・人が劣化しおる。

これでもかってぐらい過労気味で頑張ってるのに、「ボタンだけの人」は、

余計や横やりをし過ぎる。

それで倒れる寸前までやらされる。

以前も言ったが、エレベーターガールと変わらない。

ただ、エレベーターガールは明確に役職化されてるようなものではあるが、

工場は違うだろう・・。

 

工場は、強い持ち場意識と、自我・自意識皆無の人が多い。

上司の言いなりって感じ、社長の言いなりって感じ。

「(役職の)人に、この持ち場先にしろと言われたの?」と、そのあとに意味不明に怒る。

なんだろう・・この人たち、人間かな?それとも・・。

 

私の後任は、恐らく死ぬ。

私の範囲で毎日消化すれば、上司の横やり文句も「聞いてあげないといけない」ので、

1週間もしないで体が壊れると思う。

役職の人の介護もしないといけないので

 

職人とは程遠い、私の解釈によれば、武士道寄りが職人。

自我・自意識がないならナマクラ。

 

「助けを呼ばないと動かない」のは、「助け合い」と言えるのだろうか。

「大量問題」を起こしてでも、戦争の手段を残しておきたいのかな・・。

人間の自我、時間、人生と穢し、環境汚染をするようなら、本当に戦争と変わらない。

 

今日は、社会に興醒めした今日だった。