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今日は、仕事終わりに「山」に行こうか、「墓地」に行こうか迷ってました。

とりあえず家を出て、直感で迷いつつも、「墓地」へ行きました。

叔父・叔母の墓と、父親の墓の前で、手を合わせ、水や線香はないことを踏まえ、

数年、彼岸やお盆に行かなかったことなどを思いながら、その場を後にしようとしました。

しかし、かなり気持ちが落ち着き始め、ずっと居たい感覚に陥り、肉体的には寒さを感じるが、

気持ちが暖かった上に、涙も出始めました。

休憩所で、2~3分おきに帰ろうかなと思っても、ずっと居たいと思い、また休憩所に・・

という繰り返しを6回ほどしてました。

ここ2~3年で、右半身と左半身で人格の違和感が出ていたが、墓地に出た後、

それが少し強まったかなと思いました。

バットマンのトゥーフェイス的な感じです。

私としては、行ってよかったと思います。

また、彼岸やお盆には行けないけど、顔を見せに行くというのは、たまにしたほうが

良いと思いました。

 

 

話が変わりまして、「まどかマギカ」の青円盤が届きました。

ストレッチの時間もあり、6話分しか見れなかったが、なかなかいいです。

私の中で響いた言葉は、6話の鹿目詢子のセリフで、「正しすぎること」や

「間違い」のあたりです。

あれを「いじめ問題」に当てはめると、道理が通ってしまいます。

小学校や、動物に関する勉強の時、よく言われたことで「動物は喧嘩することで、

加減を知り、甘噛みを覚える」という単純なことです。

大人が「正しい選択」を子どもにするから、間違いの犯す余地のない子供ができ、

その子が大人になり、その大人が「いじめの傍観者」になり、

これが正しいことと言う状態で、それが無限ループしています。

「正しい」と思う手段を与えるより、「間違い」と思う目的を与える重要性があります。

「正しいと思う手段」とは、「いじめっ子側につく」、「やられたらやり返す」、「見届ける、

傍観する」、解釈によって異なるが「止めに入る」、教師に報告、相談する、

親に相談するなど、知られている手段は「正しいこと」ではない可能性があります。

「間違いと思う目的」とは、動物になりたいか、人間になりたいかの差です。

解決方法になっていないことをしようとする、「正しいと思う手段」を実行しようとするから、

話がややこしいのです。

武道を習わせたりするのも手だと思うが、強さだけで「間違いと思う目的」には

到達しないと思います。

 

いじめられている側は、「成績の足を引っ張られている」、「感情的時間ロスによる

青春を楽しめない」そういう状況なのだから、大人の団体が解決しようとしてる

「正しいと思う手段」は食い違いが生じると言うことです。

全く、「間違いと思う目的」が、一切盛り込まれていないと思います。

いじめられていた経験のない人は、正直、魚の気持ちは魚にしか分からないことを知らずに、

実行しようとしてるので、はた迷惑です。

SNSの「見栄合戦」の手段にも使われてる「いじめ問題」は、

これからも激化するだろうと思います。